うい。
Bro Institute of Ball&Tripは大人の野郎(通称bro)がバスケをより楽しむための知識とノウハウを提供しているサイトだ。
現在、broは完全に蚊帳の外にいる。と言うのも、broは無駄遣いをしないからである。ビジネスは金を使わない奴を対象には行われない。
しかし、言い換えれば、コンテンツはホイホイ金を出す奴らを対象に作られているということだ。実際、現在のバスケメディアも”そういった奴ら”をターゲットにしている。例えば、多くのメディアが「釣りタイトル」でPV数を稼ごうとしている訳だが、挑発的な見出しや俗物的なコンテンツで購買数を増やすのはまさにスポーツ新聞や週刊誌の手法であり、何故「スポーツ新聞や週刊誌がくだらないコンテンツを提供しているのか?」と言えば、それは彼らのターゲットも”そういった奴ら”だからである。
そして、その結果がbroが物足りなさを感じる今の状況だ。
一方、確かにこちらから合わせに行くのも1つの手ではあるだろうが、正直、大人の野郎がワーキャースタイルを続けるのは結構痛々しい。また、一部の人間は経済力で得たコレクションを見せびらかすことに走っているが、これは空港の写真をFacebookに上げるのと同様にオッサン的でダサい。(※コレクション自体は否定していない。)
と言うことで、大人の野郎に残された道はあらゆる知識を吸収して多面的且つ高い彩度でバスケを見る”bro way”しかない。
しかし、先述した通り、broを相手にしているコンテンツはない。故に、俺達が同志のために一肌脱いで始めたのがBro Institute of Ball&Tripだ。俺達はbroがバスケを楽しむための知識(情報の信頼性を担保する参考文献付き)とノウハウの提供を行っている。
と言うことで、今回はフィラデルフィアのミッドメジャー4校についてだ。
St.ジョセフズ大学
基本情報
名称: St. Josheph’s University
愛称: Hawks /SJU
所属: アトランティック10・カンファレンス
19-20: 6勝26敗
18-19: 14勝19敗
17-18: 16勝16敗
概要&近年の話: 24年間役目を全うした功労者を解雇!!
2019年、St.ジョセフズ大学は非常に難しい決断を下した。SJUは24年間HCを務めたフィル・マルテッリ(Phil Martelli)を解雇したのだ。マルテッリは2003-04にジャミーア・ネルソンとデロンテ・ウェストを率いてエリート8進出を果たし、近年ではラングストン・ギャロウェイやディアンドレ・ベンブリーをNBAに送り込んだSJUの功労者だ。後任にはフィラデルフィア・セブンティシクサーズのアシスタントコーチだったビリー・ランジ(Billy Range)が就任した。ちなみに、マルテッリはジュワン・ハワードがHCに就任したミシガン大学にACとして迎え入れられた。
アトランティック・10・カンファレンス
チーム史
モーリス・マーティン(1982-86)
モーリス・マーティンはSt.ジョセフズ大学史上ベストプレーヤーの1人だ。高校時代にはシラキュース大学やビラノバ大学からもオファーがあったが、当時HCを務めていたジム・ボイル(Jim Boyle)が自分に合っていたため、St.ジョセフズ大学が進学先となった。
その後、直ぐにスターターの座を勝ち取ったマーティンは大学4年間でほぼ全ての試合に先発出場を果たし、1982-83にはA10内で8勝6敗と苦しんでいた成績は翌1983-84と1984-85には13勝5敗に改善され、4年次の1985-86に遂にホークスは16勝2敗でA10を制覇してNCAAトーナメントへの切符を手にした。
一方、マーティンは1984年の夏には五輪代表最終候補に選ばれ、1985年にはワールド・ユニバーシティ・ゲームのアメリカ代表としてもプレーし、1986年のNBAドラフト1巡目16位でデンバー・ナゲッツから指名を受けた。
しかし、大学時代に故障した膝が原因でNBAでプレーしたのは僅か2シーズンだけだった。
フィル・マルテッリ時代(1995-2019)
ジャミーア・ネルソン(2000-04)
St.ジョセフズ大学のレジェンドはNBAオールスターにも輝いたジャミーア・ネルソンだ。2003-04、ネルソンはホークスをレギュラーシーズン27勝0敗に導き、SJUは同大史上初めてAPランキングで1位に輝いた。その後、カンファレンストーナメントでゼイビア大学に敗れたが、SJUはこれまた同大史上初の東地区第1シードを獲得、本戦ではスウィート16でクリス・ポール率いるウェイク・フォレスト大学を破り、エリート8進出を果たした。
ジャミーア・ネルソン(2003-04)
・大学年間最優秀選手賞
・ウッデン・アワード
・ネイスミス・アワード
・ボブクージー・アワード
・オスカー・ロバートソン・トロフィー
・SLAM誌の表紙を飾る
シーズン終了後、ネルソンは五大大学年間最優秀選手賞全てとボブ・クージー賞(ベストPG賞)を獲得し、ミッドメジャー校の選手としては珍しくSLAM紙の表紙を飾り、NBAドラフトで1巡目20位でデンバー・ナゲッツから指名を受けた。
デロンテ・ウェスト(2001-04)
ネルソンとバックコートでタッグを組んでいたデロンテ・ウェストも2004年のNBAドラフトで1巡目24位でセルティックスに指名された。
近年
近年ではアトランタ・ホークスのディアンドレ・ベンバリーとチャーリー・ブラウンJr(2ウェイ契約)もNBAにリーチした。
ホームアリーナ
名称: MICHAEL J. HAGAN ’85 ARENA
住所: 2450 N 54th St, Philadelphia, PA 19131
ダウンタウンからは地下鉄やバスを乗り継いで行ける。最寄り駅はCYNWYD線のBala駅とPaoli/Thorndale線のOverbrook駅だ。
ラセール大学
基本情報
名称: La Salle University
愛称: Explorers
所属: アトランティック10・カンファレンス
19-20: 15勝15敗
18-19: 10勝21敗
17-18: 13勝19敗

近年の話: 2人のフレッシュマンに期待
2018年、アシュリー・ハワードがHCに就任した。ハワードはビラノバ大学の2016年と2018年のNCAAトーナメント制覇に貢献したジェイ・ライトの右腕的存在だ。注目選手は高校時代にペンシルベニア州で4位にランクされていたジャック・クラーク(Jack Clark)だ。クラークは慢性的な怪我に悩まされていて、高校4年次は怪我でシーズンを全休し、2018-19も7試合の出場に留まってしまったが、健康であればA10の年間最優秀選手も獲得できる選手である。
チーム史
初期の成功(1946-55)
チャールズ・マグローン(1946-49)
- NIT出場(1948)
主な選手
ラリー・フォースト(1946-50): 1950年1巡目5位
ジム・フィラン(1947-51): NBA
1946年、ラセール大学はチャールズ・マグローン(Charles MacGlone)をHCに雇った。マグローンは選手時代にはエースとして活躍した卒業生なのだが、まだ方法論が確立していない時代に自身が編み出した得点方法を上手に選手達に伝授したからなのか、エクスプローラーズは得点力を武器に一気に強豪校へと昇りつめ、1947-48には当時はNCAAトーナメントと同格以上の格式があったNIT出場も果たし、僅か3シーズンで61勝17敗の好成績を収めた。
ケニース・ロフラー時代(1949-55)
- NCAAトーナメント優勝(1954)
- NCAAトーナメント準優勝(1955)
- NIT優勝(1952)
- NIT出場×2(1950、51)
主な選手
ジャック・ジョージ(1949-51): NBA
ノーム・グレーキン(1948-52): NBA
トム・ゴーラ(1951-55): 殿堂入り選手
ジャッキー・ムーア(1951-53): NBA
1949年、ケニース・ロフラー(Kenneth Loeffler)がHCに就任した。1949-50、ラリー・フォーストとジム・フィランに導かれたチームはNIT出場を果たし、1950-51にはフォーストに代わってジャック・ジョージとノーム・グレーキンが加わって再びNITに出場した。
そして、トム・ゴーラが入学して一気に全米屈指の強豪へと変貌した。1951-52、ゴーラとグレーキンの活躍でエクスプローラーズはNIT優勝を果たした。1952-53、ラセール大学はAP通信で1位を獲得した。
しかし、ラセール大学は残念ながらNIT連覇を果たせなかった。しかも、この頃にNCAAトーナメントが徐々にNITよりも高く評価されるようになっていた。理由はNCAAのTV放送が功を奏したからだ。各大学はNITがマディソン・スクエア・ガーデンで開催されるからこそ憧れを抱いていてのだが、TVの普及によってその対象がMSGからTV放送に移り変わったのである。憧れ始めたためである。
1953-54、ラセール大学は前シーズンの悔しさとNCAAトーナメントへの憧れも相まってやる気に満ち溢れていた。その結果、ラセール大学はあっさりとNCAAトーナメント優勝を果たした。翌1954-55、ゴーラの平均約20得点&19リバウンドの獅子奮迅の活躍でチームは再びNCAAトーナメント決勝へと進出したが、ビル・ラッセルとKC・ジョーンズ擁するサンフランシスコ大学に敗れて準優勝に終わった。
その後、ロフラーはテキサスA&M大学へと転任した。
ポール・ウェストヘッド時代(1970-79)
ジョー・ブライアント(1973-75)
ジョー・ブライアントはあのコービー・ブライアントの父親だ。ジョーは親日家として知られている。例えば、コービーの名前の由来は神戸牛と言われている。ある日、神戸牛のステーキを食べたジョーがあまりの美味さに感動して息子の名前につけてしまったらしい。それゆえ、同氏は東京アパッチ、レラカムイ北海道、ライジング福岡でHCを務めていて日本に長らく滞在していた。
マイケル・ブルックス(1976-80)
マイケル・ブルックスは1980年のモスクワ五輪代表のキャプテンを務めた選手だ。しかし、政治的理由でこの時のアメリカ代表チームは実際に五輪には出場しなかった。
スピーディー・モリス時代(1986-2001)
- NCAAトーナメント出場×4(1988、89、90、92)
ティム・レグラー(1985-89): NBA選手
ライオネル・シモンズ(1986-90): 1990年最優秀選手
ダグ・オバートン(1987-91): 1991年2巡目40位
ランディ・ウッズ(1988-92): 1992年1巡目16位
1986年、スピーディー・モリス(Speedy Morris)がHCに就任した。モリスは運が良かった。なぜなら同年に地元フィラデルフィアのスーパー高校生のライオネル・シモンズの入学が決まっていたからだ。初期の成功はシモンズの功績に他ならない。
1986-87、シモンズは本物だった。エクスプローラーズはシモンズの平均20点越えと前任者の置き土産のティム・レグラーの活躍でNIT準優勝を果たし、翌1987-88には地元の有望選手ダグ・オバートンが加わって、チームはNCAAトーナメント出場を果たした。1988-89はレグラーが抜けたが、シモンズとオバートンは難無くチームをNCAAトーナメント出場に導いた。
そして、1989-90、シモンズとオバートンにランディ・ウッズが加わった。エクスプローラーズはレギュラーシーズンを29勝1敗で終え、その後、1回戦でサザンミシシッピ大学に勝利して1955年以来初となるNCAAトーナメントでの勝利を挙げた。シーズン終了後、シモンズは年間最優秀選手賞を受賞した。
しかし、シモンズの消失によってエクスプローラーズはMAACですらも支配することはできなくなってしまった。ラセール大学はシモンズ在学中の4年間はカンファレンス内で55勝5敗だったが、以降の2シーズンは24勝8敗だった。それにも関わらず、1992年、ラセール大学はミッド-ウェストン・カレッジエイト・カンファレンス(MWCC)への移籍を敢行した。MWCCはMAACよりも強いリーグだった。
案の定、ラセール大学は思うようには勝てなくなった。しかも、他の所属校がミシガン州、インディアナ州、オハイオ州にあっため遠征が大変だった。その結果、僅か3シーズンでMWCCからの撤退が決まったのだが、移籍先がさらに強いアトランティック・10・カンファレンス(A10)だったため、チームはさらに勝てなくなり、2000-01にモリスはチームを離れることになった。
ホームアリーナ
名称: TOM GOLA ARENA AT TRUMARK FINANCIAL CENTER
住所: W Olney Ave, Philadelphia, PA 19144
ダウンタウンからラセール大学へは地下鉄で行ける。最寄り駅は地下鉄BSL線のOlney Transportation Center駅だ。
ペンシルベニア大学
基本情報
名称: University of Pennsylvania
愛称: Penn Quakers/UPenn
所属: アイビー・リーグ
19-20: 16勝11敗
18-19: 19勝12敗
17-18: 24勝9敗NCAAトーナメント出場

近年の話: ビッグ5優勝(2018)
2018年、ペンシルベニア大学はビッグ5で優勝を果たした。ビッグ5はフィラデルフィアにキャンパスを構えるNCAA D1大学6校の内ドレクセル大学を除いた5校でフィラデルフィアのNo.1チームを決める大会だ。ペンシルベニア大学は初戦でラセール大学に勝ち、その後ビラノバ大学をホームで撃破、勢いそのままにテンプル大学とSt. ジョセフ大学にも勝ち、見事全勝でフィラデルフィアNo.1の称号を手にしたのだ。
注目選手は中国出身のマイケル・ワン(Michael Wang)だ。ワンは高校時にアリゾナ大学、オレゴン大学、テキサスA&M大学からがあった程の選手で、2018-19に1年次からローテーションスポットを勝ち取り、平均18分で8.5P/3.6R/1.1A/と上々の数字を残している。
アイビー・リーグ
ホームアリーナ
名称: The Palestra
住所: 223 S 33rd St, Philadelphia, PA 19104
ペンシルベニア大学はフィラデルフィアの中心地からほんの少し離れた場所にある。最寄り駅は地下鉄MFL線のSepta 30th Street駅だ。ダウンタウンからは徒歩でも行ける。
ドレクセル大学
基本情報
名称: Drexel University
愛称: Dragons
所属: コロニアル・アスレティック・アソシエーション
19-20: 14勝19敗
18-19: 13勝19敗
17-18: 13勝20敗
16-17: 9勝23敗
選手: マリーク・ローズ、ダミオン・リー

概要&近年の話: ダミオン・リーを輩出
2011-15、現在ゴールデンステイト・ウォリアーズと2ウェイ契約選手のデミオン・リーがドレクセル大学でプレーしていた。2011-12、CAAの新人賞を獲得する活躍のリーに導かれてドレクセル大学は16勝2敗でCAAのレギュラーシーズン1位となったが、カンファレンストーナメント決勝で敗れてNCAAトーナメント出場には至らなかった。
コロニアル・アスレティック・アソシエーション
チーム史
レジェンド: マリーク・ローズ(1992-96)
同大のレジェンドはスパーズの1999年と2003年の優勝に貢献したマリーク・ローズだ。大学時代に着用していた#00は同大の永久欠番になっている。ちなみに、ローズはコービー、ナッシュ、アイーバーソン、レイ・アレン、ジャメイン・オニールと同じ華の1996年ドラフト組である。(指名順位は2巡目45位ではあるが。)現在はデトロイト・ピストンズのアシスタントGMの職に就いている。
ホームアリーナ
名称: Daskalakis Athletic Center
住所: 3301 Market St, Philadelphia, PA 19104
ドレクセルはフィラデルフィアの中心部から地下鉄や徒歩でアクセスできる。最寄り駅は地下鉄MFL線の34th Street駅だ。会場は駅の目の前にある。
現地観戦
まとめ
フィラデルフィアのミッドメジャーは非常にハイレベルだ。ブラケットロジーに興味が無い人でもバスケ好きなら観に行く価値はある。
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ボスウォッシュエリア

ボスウォッシュエリア(北東部)
ボスウォッシュエリアは「ボストン~ワシントンD.C.」間の東海岸のメガロポリスのエリアだ。北にニューイングランドエリア、南にアトランティックエリア、西に五大湖エリアがある。
ボストン(マサチューセッツ州)
ボストンはアメリカ最古の都市だ。名門ボストン・セルティックスがある。同時にボストンは東海岸随一の学生街だ。ACC所属のボストン・カレッジ、実はバスケも強いハーバード大学、小川春太選手が通うマサチューセッツ工科大学(NCAA D3)等がキャンパスを構えている。
プロビデンス(ロードアイランド州)
プロビデンスはボストンの隣町だ。強豪プロビデンス大学と実力校ロードアイランド大学に加え、アイビー・リーグのブラウン大学、台湾人プレーヤーのBenson Linがプレーしているブライアント大学の計4校のNCAA D1大学がキャンパスを構えている。
バスケットボール殿堂(マサチューセッツ州)
マサチューセッツ州スプリングフィールドはバスケットボールが誕生した町だ。バスケットボール殿堂とスプリングフィールドカレッジがある。
コネチカット大学(コネチカット州)
名門コネチカット大学はボストンとニューヨークの間にある。
ニューヨーク(ニューヨーク州)
ニューヨークはバスケットボールのメッカだ。NBAはニックスとネッツ、NCAAはSt.ジョーンズ大学、シートン・ホール大学、その他ミッドメジャー11校がある。さらには大学や高校のイベントが年中開催されている。ラッカーパークやダイクマン等のストリートボールの聖地も多い。
トレントン(ニュージャージー州)
トレントンは世界で初めてプロバスケットボールの試合が行われた町だ。1896年、興行団体のトレントンズはメイソニック・テンプル・ホールで試合を開催して試合後に売り上げを選手に還元した。
フィラデルフィア(ペンシルベニア州)
フィラデルフィアはチェンバレンとコービーを育てたタフな街だ。シクサーズと2016年と2018年にNCAAトーナメントを制覇したビラノバ大学がある。NYCとワシントンD.C.の間にあるためアクセスが良い。
ボルチモア(メリーランド州)
メリーランド州ボルチモアは首都ワシントンD.C.の隣にある学生街だ。2018年にNCAAトーナメント史上最大のアップセットをかましたUMBC等計5校のミッドメジャー校がキャンパスを構えている。コロナ関連のニュースでお馴染みのジョンズ・ホップキンス大学(NCAA D3)も実はボルチモアにある。
ワシントンD.C.
首都ワシントンD.C.は実はバスケが盛んなエリアだ。八村塁選手が所属するワシントン・ウィザーズはもちろん、ユーイングがHCを務めるジョージタウン大学、強豪メリーランド大学、渡邉雄太選手の母校ジョージ・ワシントン大学があり、夏には複数のPro-Amリーグが開催されている。
参考
Saint Joseph’s Hawks School History(sports-reference.com)
Phil Martelli fired by St. Joseph’s after 24 years as head coach(inquirer.com)
St. Joe’s icon Maurice Martin, in the fight of his life, keeps the faith(theathletic.com)
Once he was cleared to participate, Jack Clark never considered a redshirt season at La Salle(inquirer.com)
JAMEER NELSON(sjuhawks.com)
La Salle Explorers School History(sports-reference.com)
CHARLES MCGLONE(goexplores.com)
Ken Loeffler, Who Led LaSalle To Basketball Titles, Dies at 72(nytimes.com)
La Salle is building a culture as it looks to move up in the Atlantic 10(theathletics.com)
Michael Brooks, former La Salle great, dies at 58(inquirer.com)
Michael Wang(247sports.com)