【NCAA】メンフィス大学

うい。現地観戦研究家のBall Otaku Bros(@b_o_bros)だ。

今回はペニー・ハーダウェイがHCを務めるメンフィス大学を紹介する。

メンフィス大学

基本情報

名称: The University of Memphis
愛称: Tigers
所属: American Athletic Conference
19-20: 21勝10敗
18-19: 22勝14敗

Men's Basketball
The official Men's Basketball page for the University of Memphis Tigers

近年の話: ペニー・ハーダウェイが母校に復帰!!

2018年、ペニー・ハーダウェイがHCに就任した。ハーダウェイはメンフィス出身、高校時代から全米中の注目を集め、その後進学したメンフィスステイト大学(現メンフィス大学)でも脚光を浴び、NBAでもシャックが嫉妬する程の人気を博した、まさに地元メンフィスの誇り的存在だ。


ペニーは、ちょうど親世代がペニーの最盛期と重なることもあってか、リクルートに滅法強い。2019年、ジェームス・ワイズマンとプレシャス・アチューワの2人のワン&ダンNBAプロスペクトと5人ものフォスターリクルートが入学し、メンフィス大学はリクルートランキング(247sports)でデューク大学やケンタッキー大学を抑えて1位と評された。


一方、決して全てが上手く進んでいる訳ではない。2019-20、ワイズマンがシーズン途中に出場停止処分となった。理由は高校時代にペニーがワイズマン一家のメンフィスへの引越し費用を立て替えたことがNCAAの規定に反しているとされたからだ。結果、ワイズマンは僅か3試合でチームを去ることとなった。しかも、最近、アシスタントコーチのマイク・ミラーが一身上の都合で退職した。実際、ミラーが去った後の2020年高卒組(Class of 2020)のリクルートは昨季に比べると物足りなさは否めず、ミラーがリクルートに大きく貢献していたことが伺える。


ただ、2019年高卒組(Class of 2019)のフォスター達が引き続きチームに残っている。今後の注目は彼らの成長ぶりだ。

注目選手

ムサ・シーセ(1年/213㎝/#?)

Moussa Cisse Is The BEST SHOT BLOCKER In Nation! Violates EVERYBODY His Junior Szn! Official Mix 😤

注目選手はESPNは2020年高卒組ランキングでは25位前後ムサ・シーセ(Moussa Cisse)だ。シーセはギニア出身、サイズ(身長: 7-0/ウィングスパン: 7-3/スタンドリーチ: 9-5)と身体能力に恵まれていて、ワン&ダンで2021年のNBA入りが予想されている。メンフィス大学を選んだ理由はニューヨーク州のSt.ベネディクツ高校(St. Benedict’s Prep School)時にチームメイトだったプレシャス・アチューワが勧めてくれたからとのことである。

アメリカン・アスレティック・カンファレンス

名称: American Athletic Conference
愛称: AMERICAN
設立: 1979年
所属校: 12校
HP: http://theamerican.org/

所属校(大まかな所在地)※太字は重要校
メンフィス大学(テネシー州メンフィス) は現在ペニー・ハーダウェイがHCを務めている。出身者にはデリック・ローズやタイリーク・エバンスなどがいる。
ヒューストン大学(テキサス州ヒューストン)は1980年代にクライド・ドレクスラーとアキーム・オラジュワン等を擁したダンカ―集団”Phi Slama Jama”で一世を風靡した。
シンシナティ大学(オハイオ州シンシナティ) は過去にNCAAトーナメント2連覇とオスカー・ロバートソンを輩出した古豪だ。
ウィチタ・ステイト大学(カンザス州ウィチタ)は2014年にレギュラーシーズン無敗を達成した。当時の主力にはフレッド・バンブリートがいる。
セントラル・フロリダ大学はタッコ・フォールの出身校だ。
サウス・フロリダ大学
テンプル大学(ペンシルベニア州フィラデルフィア)は地味に強い大学だ。
テュレーン大学(ルイジアナ州ニューオーリンズ)
タルサ大学(オクラホマ州タルサ)はノーラン・リチャードソン、トゥビー・スミス、ビル・セルフの3人が自身の実力を証明したチームだ。3人共にその後他大学でNCAAトーナメントを制覇している。
イースト・カロライナ大学
SMU(テキサス州ダラス)は名将ラリー・ブラウンが指揮を執っていて一気に強くなったが、ブラウンの十八番「不正」が発覚して再び転落してしまった。

アメリカンはいわゆる旧ビッグ・イースト・カンファレンスだ。ビッグ・イースト・カンファレンスとして活動していたのだが、フットボール部を登録している大学と登録していない大学とで不都合が生じたため、ジョージタウン大学等のノンフットボール7校がビッグ・イースト・カンファレンスという名前と共に新ビッグ・イースト・カンファレンスとして独立した。その結果、同カンファレンスは名前をアメリカン・アスレティック・カンファレンスに改めた。現在はメンフィス大学とヒューストン大学が強い。

チーム史

初期(1951-70): 地元の小規模校から全国屈指のバスケ校に

ユージン・ランバート(1951-56)

1951年、メンフィス・ステイト大学は名前を売るべくバスケ部に力を注ぎ始めることを決意した。そこで白羽の矢が立ったのがアーカンソー大学をファイナル4へと導いたユージン・ランバート(Eugene Lambert)だ。ランバートの採用は見事に的中した。タイガースは1955年に初、1956年に2年連続となるNCAAトーナメント出場を果たした。

Bro's Knowledge
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NCAAトーナメント出場の出場枠は

1939~78: 8~32校
1979~84: 40~53校
1985~現在: 64~68校

となっている。だから、1984年までは出場するだけでも凄いことだった。

ボブ・バナッタ(1956-62)

1956年、アラバマ大学に引き抜かれたランバートに代わってミズーリ・ステイト大学をNAIAトーナメント2連覇に導いた敏腕のボブ・バナッタ(Bob Vanatta)がポジションに就いた。バナッタもランバートと同様に評判に違わなぬ手腕を発揮し、僅か6シーズンの間にチームは109勝を積み上げ、3度のNIT出場と1度のNCAAトーナメント出場を果たした。

ウェイン・イェイツ(選手: 1958-61/HC: 1974-79)

ウェイン・イェイツ(Wayne Yates)は最初のスタープレーヤーだ。1958年にニューメキシコ大学からの編入してきたイェイツは、1年間のレッドシャツ期間を経て1959-61の2シーズンをプレーし、1961年NBAドラフト全体5位指名でロサンゼルス・レイカーズに入団した。しかし、怪我で選手を引退し、バートウのアシスタントとして経験を積んだ後、1974年にHCに就任した。最初の3シーズンはバートウの貯金でNCAAトーナメントとNITに出場していたが、徐々に成績が下降し、5年目終了後に契約解除となった。

モー・イバ(1966-70)

1966年、モー・イバ(Moe Iba)がHCに就任した。

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もしカレッジバスケ界でイバという名を見かけたら注目だ。その人物はオクラホマA&M大学(現オクラホマ・ステイト大学)でNCAAトーナメント2連覇(1945&46)を達成したレジェンドコーチのヘンリー・イバの親族である可能性が高い。無論、モーはヘンリーの息子だ。当時は既に支配的ではなかったが、モーもOSUに入学して父の下で4年間プレーした。

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そして、モーは前年度にNCAAトーナメント制覇を達成したテキサス・ウェスタン大学のコーチングスタッフだった。1960年代、黒人選手はコートに1人しか立てないという暗黙の了解があり、南部に至っては黒人学生が大学に入学できるようになり始めた頃だった。映画「グローリーロード」はそんな彼らの戦いを描いた作品だ。

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つまり、モーは2つの伝説を目の当たりにした凄い経験を持っている。

1966年、就任1年目、タイガースは18勝8敗でNITの招待を受けた。しかし、就任2年目にタイガースはミズーリ・バレー・カンファレンスに加盟した。インディペンデント(カンファレンス無所属)だった頃は好きな相手とだけ試合を組めばよかったが、MVCに所属したことで実力校と対戦せざるを得なくなり、以降、タイガースは全く勝てなくなってしまった。その結果、3年連続で10勝以下に終わったイバは僅か4シーズンで解雇となった。

ジーン・バートウ時代(1970-74): NCAAトーナメント準優勝

主な実績
  • NCAAトーナメント準優勝(1973)

1970年、ジーン・バートウ(Gene Bartow)がHCに就任した。バートウは、その後にアラバマ大学バーミンガム校をNCAAトーナメント常連校に仕立て上げる等の実績で殿堂入りを果たす人物なのだが、その足掛かりとなったのがこのメンフィスへの赴任だった。


1970-71、バートウは前年度6勝20敗(ミズーリ・バレー・カンファレンス内1勝15敗)だったチームを18勝8敗に大きく向上させ、翌1971-72はミズーリ・バレー・カンファレンス内2位とNIT招待を受けるまでに至らせた。


1972-73、4年生になったラリー・フィンチ(Larry Finch)とスーパー新入生のラリー・ケノンらはシーズン中に12連勝を記録する好調ぶりを見せて遂にNCAAトーナメントへの切符を手にした。そして、本戦、タイガースは平均90点以上を挙げて1、2回戦、さらには準決勝までも快勝し、ジョン・ウッデンとビル・ウォルトンのUCLAが待つ決勝に進出した。


しかし、前半こそ競っていたものの、後半は圧倒的な力の差の前に為す術が無くなってしまったタイガースは最終的に87-66で完敗した。その後、フィンチはコンセンサス・オール-アメリカンに選ばれ、ケノンはABAに行き、翌年、バートウはイリノイ大学に転任した。

ダナ・カーク時代(1979-86): 地元出身選手達でファイナル4へ進出したが…

主な実績
  • ファイナル4(1985)
  • スウィート16×3(1982~84)

1979年、ダナ・カークがHCに就任した。大した実績も無く地元出身でも無いカークが何故採用されたのかは不明だが、兎にも角にもカークの抜擢は大当たりだった。カークは超短期間の内に地元メンフィス出身の選手達だけでコンテンダーチームを作り上げてしまったのだ。


最初の2シーズンは上手くは行かなかった。しかし、地元のスター高校生キース・リーを口説き落としてタイガースは変貌を遂げた。1981-82、瞬く間にチームを引っ張る立場になったフレッシュマンのリーの活躍でチームは23勝4敗でメトロカンファレンスを制覇し、NCAAトーナメント出場を果たした。その後は口火を切ったかのように1982年にアンドレ・ターナー、1983年にウィリアム・ベドフォード1984年ビンセント・アスキューと次々と地元メンフィス出身の有望選手が加入した。


そして、1984-85、上記の4人が一緒にプレーする最後の年となったタイガースは、サウスカロライナ大学とデトロイトマーシー大学に土をつけられる”疑惑の敗戦”があったが、難なくメトロカンファレンスを制覇してNCAAトーナメント出場を果たした。


NCAAトーナメント本戦、タイガースは、2回戦でバートウ率いるUABにあわや敗戦の所まで追い詰められるも2点差で競り勝ち、3回戦は当時波に乗っていたビッグ・イースト・カンファレンスのボストンカレッジにも2点差で勝利してスウィート16の壁を突破し、準々決勝ではオクラホマ大学にこれまた2点差で粘り勝って遂にファイナル4へと戻ってきた。が、リーのファールトラブルでオフェンスで苦しんだタイガースはビラノバ大学に泥仕合の末に敗退を喫した。


1986年、脱税の容疑で身柄を拘束されたことでカークは失脚した。その後の調査でコーチやブースターから選手へ不正に金銭が譲渡されていたこと等数々のNCAAの規定に違反する行為が発覚したのだ。例えば、リーは進路決定時にカークに靴箱に入れられた札束を見せられ、在学中は毎月$600のお小遣い、車、テレビ、ステレオ等の支給を受け、5連勝する度に$100のボーナスをもらっていたと本人が語っている。


また、僅か4名しか大学を卒業していないことも問題視された。加えて、真相は究明されいないが、ギャンブル好きのカークは八百長にも絡んでいるという噂も浮上した。例えば、1984-85のシーズン中にミッドメジャー2校に黒星を喫している。もしこの試合の勝敗予想で賭け事をしていた場合、ミッドメジャー校の勝ちを予想していた人々は大金を手にしていたことになる。結果、事態を重く見た大学はカークを解雇、カーク時代の成績全てを公式記録から抹消、翌1986-87のポストシーズントーナメント出場を自粛を発表した。


ちなみに、リーは1985年1巡目11位、ベドフォードは1986年1巡目6位、ターナーは下位指名でNBA入りを果たしたのだが、全員250試合未満の出場に留まり、NBAでは成功を収められなかった。

ラリー・フィンチ時代(1986-97): 新旧レジェンドコンビ

レジェンド就任(1986-91)

1986年、ACのラリー・フィンチがHCに昇格した。昇格当初、元人気選手のフィンチに要求されていたことはタイガースのイメージアップだった。つまり、結果を残すことはあまり期待されていなかった。が、フィンチは早速結果を残した。1986-87、主力はアスキューしか残っておらず、なお且つNCAAトーナメント出場自粛で選手のモチベーションが保つのが難しい中、最終成績は26勝8敗だった。しかも1987年に地元出身のエリオット”ソックス”ペリーが加入し、ペリーの活躍でチームは1987-91に2度のNCAAトーナメント出場を果たした。

ペニー・ハーダウェイ降臨!!(1991-94)

主な実績
  • エリート8(1992)

1991年、地元メンフィス出身で全米No.1プレーヤーのペニー・ハーダウェイがメンフィスステイト大学に入学した。


しかし、1991-92、ハーダウェイは学業成績不振でエリジビリティー(出場資格)が停止となってしまった。しかも、ハーダウェイは強盗に遭遇して右足に被弾して3本の骨を折る重傷を負った。


ただ、この事件がハーダウェイの考えを改めるきっかけになった。1991-92、ハーダウェイは、パフォーマンスの波は激しかったものの、見事タイガースをエリート8に導いた。同時にハーダウェイは勉強にも真面目に取り組み始めた。その結果、学業成績は1年次の学業不振から打って変わってGPA3.4の非常に優秀な成績となった。1993年、ハーダウェイは卒業を待たずして1巡目3位でオーランド・マジックに入団した。

大学名変更!!(1994-97)

主な実績
  • スウィート16(1995)

1994年、メンフィスステイト大学からメンフィス大学に名称が変わった。同時にメンフィス育ちのロレンゼン・ライトが加入した。ライトはユニバシアード福岡大会で来日も果たしている選手だ。1994-95、デビッド・バーンとライトの活躍でタイガースはスウィート16に進出、1995年にデビッド・バーン、1996年にライトがそれぞれ1巡目指名でNBA入りを果たした。が、1997年、直近の2シーズンで思わしい結果を残せなかったフィンチはチームから離れることとなった。

ジョン・カリパリ時代(2000-09): 歴史は繰り返す!!

忘れられた最初のスーパースター(2000-05)

Dajuan Wagner – Career Highlights

2000年、NBAで失敗したジョン・カリパリがHCに就任した。2001年、ディショーン・ワーグナーがメンフィス大学にコミットした。

現在ケンタッキー大学のHCを務めているカリパリは全米トップのリクルーターとして知られている。ウォール、ブギー、AD、ブッカー、ブレッドソー等、彼の下を1年間で通過したスーパー高校生は数知れない。しかし、そんなカリパリが最初に獲得したスーパー高校生がこのワーグナーだ。

ワーグナーは本物だった。彼は、フレッシュマンながら全36試合に出場して平均21.2点を記録し、当時としては非常に珍しかったワン&ダンで2002年1巡目6位でクリーブランド・キャバリアーズに入学した。

ワン&ダンの風(2005-09)

主な実績
  • NCAAトーナメント準優勝(2008)
  • エリート8×2(2006、07)

2005年、NBAはNBAドラフトへのエントリー条件に「高校卒業1年以上経過」or「ドラフトされた年以内に19歳になっている」を加えた。つまり、実質的に高卒でNBA入りすることが禁止となった。故に、トップリクルート達は大学に行かざるを得なくなった。

もちろん、モラトリアムの過ごし方には大学進学以外の道もある。実際、最近は他国のプロリーグ、ポスト-グラデュエート制度、自主トレでモラトリアムを過ごす選手も増えてきた。しかし、高卒が禁止された直後は大学進学以外の道はまだ開拓されておらず、代替ルートという発想すら無かったため、実質的に大学進学以外の選択肢は無いに等しかった。

この高卒ルーキー禁止がカリパリの追い風となった。2005-06、ワグナー以降もロドニー・カーニーとダリアス・ワシントンJrのファイブスターリクルートが入学していたが、そこにさらなるファイブスターのショーン・ウィリアムスが加わり、タイガースは33勝4敗でエリート8に進出した。


そして、2007年、シカゴ出身のデリック・ローズがメンフィスに降臨した。


2007-08、タイガースにはローズの他にコンセンサス・オール-アメリカンと1巡目指名に選ばれるクリス・ダグラス-ロバーツ(CDR)がいた。両者に導かれたチームは開幕26連勝を達成し、33勝1敗で堂々のAP最終1位でNCAAトーナメントに臨んだ。その後、タイガースはエリート8でDJ・オーガスティン率いるテキサス大学を破り、ファイナル4では実はローズよりも評価が高かったケビン・ラブ、ラッセル・ウェストブルック、ダレン・コリソン、ルック・バームーテらNBA予備軍のUCLAを撃破し、遂に決勝の舞台へと上がった。


決勝の相手は、準々決勝でステフィン・カリー率いるデビッドソンカレッジに苦戦するも、ファイナル4で年間最優秀選手賞のタイラー・ハンズブローを筆頭にダニー・グリーンやタイ・ローソンを擁するノースカロライナ大学に快勝したカンザス大学だった。

Mario chalmers 3-point shot at the 2008 NCAA Championship

試合は残り10.8秒、メンフィス大学が62-60とリードした状況でローズがFT2本を獲得した。しかし、ローズはそれを1本しか決めることができず、同点のチャンスを得たカンザス大学はマリオ・チャルマースが値千金のスリーをねじ込み、試合は延長戦に突中し、勝利の女神はカンザス大学に微笑んだ。


その後、ローズ、CDR、ロバート・ドジャーが揃ってNBA入りを果たした。代わりにタイリーク・エバンスがコミットした。2008-09、カンファレンス-USAを16勝0敗で駆け抜けたタイガースは、第2シードで昨季の雪辱を晴らす戦いに臨んだが、スウィート16でデマー・キャロル率いるミズーリ大学に敗れた。


シーズン終了後、カリパリはケンタッキー大学に転任、そして、数か月後にローズに学業成績改竄が発覚した。NCAAは選手に一定の成績基準をプレー資格に求めているのだが、その内の1つのSAT(大学入学適性試験)がローズの出身地シカゴでは無く、デトロイトで受けられていたことが明るみになり、身代わり受験が発覚したのだ。その結果、NCAA委員会はローズがプレーしていた2007-08のメンフィス大学の全成績を公式記録から抹消した。カークと同じことが起こってしまったのだ。

ジョシュ・パストナー時代(2009-16): カリパリになれなかった男

2009年、ジョシュ・パストナー(Josh Pastner)がHCに昇格した。パストナーはトップリクルーター2人の下で暗躍した人物だ。1990~2000年代、ルート・オルソンの下でリクルーターとしてパワーハウスのアリゾナ大学を陰で支え、2008年にオルセンの勇退と共にカリパリの下へとやってきた。


2010年、パスタナーは何とウィル・バートン、ジョー・ジャクソン、ジェイレン・ケンドリックの3人のファイブスター、そしてタリーク・ブラック他1名のフォスターを入学させた。


しかし、パストナーは全米で5本の指に入るレベルのリクルートに見合う成績を残すことができなかった。大きな期待を背負って迎えた2010-11と2011-12はNCAAトーナメント2回戦敗退で終わった。その結果、メンフィス大学は徐々にリクルート達から背を向けられるようになってしまった。


加えて、メンフィス大学はカンファレンスUSAからアメリカン・アスレティック・カンファレンス(アメリカン)に移籍した。アメリカンは旧ビッグ・イースト・カンファレンスを母体とした強豪校が集まるリーグだ。案の定、リクルート力の弱体化と強豪カンファレンスの移籍はタイガースを苦しめた。その結果、2016年にパストナーは逃げるようにジョージア工科大学へと移った。

現地観戦

ホームアリーナ

基本情報

名称: FedEx Forum
住所: 191 Beale St, Memphis, TN 38103

ホームアリーナはダウンタウンのフェデックス・フォーラムだ。

メンフィス・ピラミッド

基本情報

名称: Memphis Pyramid
住所: 1 Bass Pro Dr Memphis, TN 38105

メンフィス・ピラミッドはピラミッド型のアリーナで町のシンボル的存在だ。1991~2004年、ピラミッドはタイガースのホームアリーナとして使わていた。建物自体は現在も使用されている。

チケット

同大はパワーカンファレンスに所属しているため、試合によってはチケットが売り切れる可能性もある。だから、チケットの購入は会場では無く、 TicketmasterStubHubVIVIDSETAS、公式サイト等で事前に購入するのがオススメだ。

カレッジギア

大学のグッズの購入はキャンパス内のブックストア(カレッジストア)がオススメだ。場所はグーグルマップで「大学名 bookstore」で検索すれば出てくる。


ブックストアは書店では無い。ブックストアはアパレルと日用品が売られている雑貨屋だ。と言うのも、アメリカの大学生は基本的に寮やキャンパス付近での生活を強いられるため彼らの生活に必要となるアイテムが置いてあるのである。


ちなみに、カレッジのアイテムはアリーナでも買える。が、品揃えは良くない。時間があれば是非ともキャンパス内or付近のブックストアに立ち寄ることを俄然オススメする。

まとめ

メンフィス大学はチェック必須のチームであることは間違いない。先述した通り、メンフィス大学は地元出身者に非常に愛されているため、元から地元出身の有望選手達が入学してくる傾向が強いのだが、そこに引退してもなお人気が衰えていないペニー・ハーダウェイが加わった。故に、メンフィス大学は一層リクルートに強くなった。

合わせて行きたい: オハイオバレーエリア

シンシナティ(オハイオ州)

シンシナティはオハイオ州の南端の都市だ。シンシナティ大学ゼイビア大学の強豪2校がキャンパスを構えている。インディアナポリスオハイオ・ステイト大学、ケンタッキー大学、ルイビル大学に近い。

ルイビル(ケンタッキー州)

ルイビルはケンタッキー州最大の町だ。

ケンタッキー大学

ケンタッキー大学はシンシナティを南下したレキシントンにある。

ナッシュビル(テネシー州)

テネシー州ナッシュビルはバンダ―ビルト大学、ベルモント大学、テネシーステイト大学がキャンパスを構えている。

メンフィス(テネシー州)

テネシー州メンフィスにはNBAメンフィス・グリズリーズ、Gリーグチームのメンフィス・ハッスル、ペニー・ハーダウェイがHCのメンフィス大学がある。

カレッジフープスの記事

参考

ANFERNEE “PENNY” HARDAWAY(gotigers.com)
Memphis’ James Wiseman Ruled Ineligible by NCAA, Plays Anyway After Court Order(si.com)
Mike Miller leaves Memphis coaching staff to focus on family(apnews.com)
No. 24-rated prospect Moussa Cisse commits to Memphis basketball(espn.com)
NBA & ABA Players Who Played For Memphis(basketball.realgm.com)
The Top 15 Memphis Tigers of All Time(memphisflyer.com)
Memphis Tigers School History(sports-reference.com)
Lamnbert Resigns Post For Memphis State Job(news.goole.com)
Dr. Gene Lambert New Tide Mentor(news.google.com)
Ex-Tiger basketball coach Bob Vanatta dies at 98(commercialappeal.com)
KEITH LEE TESTIFIES OF PAYMENTS FROM KIRK(washingtonpost.com)
TROUBLED TIMES AT MEMPHIS STATE(vault.si.com)
The Next Chapter: Retired NBA player Elliot Perry on leaving basketball, collecting art and living in Memphis(theundefeated.com)
On These Courts: A Miracle Season that Changed a City, a Once-Future Star …(books.google.co.jp)

ダイハードオタク話(有料)

管理人

俺達B.O.Brosはアメリカかぶれの”bro”2人だ。両者共にアメリカの大学に留学経験(1人は現在留学5年目)がある。元々はバスケ好きが高じて渡米したのだが、今ではバスケを通り越してアメリカ的価値観や文化そのものの虜になり、固まった休みが取れ次第、試合観戦がてらアメリカ各地を巡っている。トレンドの話はTwitter、俺達自身についてはInstagram、ブログのコンセプト外の話はnoteで発信しているので、興味があれば、そちらもチェックしてもらえれば、と思う。

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