【NCAA】ヒューストン大学

うい。現地観戦研究家のB.O. Bros(@b_o_bros)だ。


当ブログはバスケオタクが低予算で現地観戦を達成するためのガイドブックである。


では、早速本題に入る。

今回はアキーム・オラジュワンとクライド・ドレクスラーのPhi Slama Jamaで一世を風靡した無冠の帝王ヒューストン大学を紹介する。

ヒューストン大学

基本情報

名称: The University of Houston
愛称: Cougars
所属: American Athletic Conference
19-20: 23勝6敗
18-19: 33勝4敗スウィート16
17-18: 27勝8敗NCAAトーナメント出場

Men's Basketball
The official Men's Basketball page for the University of Houston Cougars

近年の話: 再建成功中

ヒューストン大学はかつての力を取り戻しつつある。2014年、ケルビン・サンプソン(Kelvin Sampson)がHCに就任した。サンプソンは2008年に発覚したインディアナ大学時代のエリック・ゴードンらのリクルートの不正でカレッジバスケットボール界から離れていたが、過去にはローメジャーのモンタナ工科大学で3季連続年間20勝、パック12の”じゃない方”ワシントン・ステイト大学で勝率5割、オクラホマ大学でファイナル4進出を達成した敏腕だ。2018年、サンプソンに鍛え上げられたクーガーズは遂に1984年以来となるNCAAトーナメント2回戦進出を果たし、翌2019年には第3シードからスウィート16まで勝ち進んだ。

注目選手: Quentin Grimes(3年/#24/196cm/CG)

ヒューストン大学の注目選手はクエンティン・グライムス(Quentin Grimes)だ。グライムスは元ファイブスター高校生でU-18アメリカ代表にも選ばれた選手である。


2018年、グライムスはカンザス大学に入学した。2018-19、主力選手として活躍したグライムスはシーズン終了後にNBAドラフトへのエントリーを表明したのだが、芳しい評価を得られなかったため、エントリーを撤回して大学に戻ることを決意した。


しかし、グライムスのNBA行きを確実視していたカンザス大学はその間に13名の奨学金枠を全て埋めてしまった。故に、カンザス大学はグライムスを奨学生として迎え入れることができず、その結果、グライムスは地元テキサス州のヒューストン大学に転校した。


その後、NCAAがグライムスの2019-20のプレーを許可した。2019-20、グライムスは30試合に出場して平均12.1P/3.7Rの成績を残した。

アメリカン・アスレティック・カンファレンス

名称: American Athletic Conference
愛称: AMERICAN
設立: 1979年
所属校: 12校
HP: http://theamerican.org/

所属校(大まかな所在地)※太字は重要校
メンフィス大学(テネシー州メンフィス) は現在ペニー・ハーダウェイがHCを務めている。出身者にはデリック・ローズやタイリーク・エバンスなどがいる。
ヒューストン大学(テキサス州ヒューストン)は1980年代にクライド・ドレクスラーとアキーム・オラジュワン等を擁したダンカ―集団”Phi Slama Jama”で一世を風靡した。
シンシナティ大学(オハイオ州シンシナティ) は過去にNCAAトーナメント2連覇とオスカー・ロバートソンを輩出した古豪だ。
ウィチタ・ステイト大学(カンザス州ウィチタ)は2014年にレギュラーシーズン無敗を達成した。当時の主力にはフレッド・バンブリートがいる。
セントラル・フロリダ大学はタッコ・フォールの出身校だ。
サウス・フロリダ大学
テンプル大学(ペンシルベニア州フィラデルフィア)は地味に強い大学だ。
テュレーン大学(ルイジアナ州ニューオーリンズ)
タルサ大学(オクラホマ州タルサ)はノーラン・リチャードソン、トゥビー・スミス、ビル・セルフの3人が自身の実力を証明したチームだ。3人共にその後他大学でNCAAトーナメントを制覇している。
イースト・カロライナ大学
SMU(テキサス州ダラス)は名将ラリー・ブラウンが指揮を執っていて一気に強くなったが、ブラウンの十八番「不正」が発覚して再び転落してしまった。

アメリカンはいわゆる旧ビッグ・イースト・カンファレンスだ。ビッグ・イースト・カンファレンスとして活動していたのだが、フットボール部を登録している大学と登録していない大学とで不都合が生じたため、ジョージタウン大学等のノンフットボール7校がビッグ・イースト・カンファレンスという名前と共に新ビッグ・イースト・カンファレンスとして独立した。その結果、同カンファレンスは名前をアメリカン・アスレティック・カンファレンスに改めた。現在はメンフィス大学とヒューストン大学が強い。

チーム史

ガイ・ルイス時代(1956-86)

Game of Century期: ジョン・ウッデン大王朝を揺るがす

主な実績
  • ファイナル4×2(1967、68)
  • UCLAの47連勝を止める

ガイ・ルイス(Guy Louis)はヒューストン大学のみならずテキサス州にカレッジバスケットボールをもたらした人物だ。テキサス州はフットボールが唯一人気のあるカレッジスポーツだったが、ルイスがもたらした自由でエキサイティングなスタイルはテキサス州のバスケットボール人気に火をつけた。


1960~70年代前半はNCAAトーナメント10回の優勝を誇るジョン・ウッデン率いるUCLA大王朝の時代だ。


ルイスの改革の1つが黒人学生を入学させたことだった。1960年代、マーティン・ルーサー・キングJrに代表される公民権運動が活発になっていた時代、アメリカ南部では未だに黒人学生は一部の大学に入学することができなかったのだが、ルイスは1964年にプログラム初の黒人プレーヤーとしてエルビン・ヘイズとドン・チェイニーを入学させた。

This Forgotten Day in Houston: Cougars Battle UCLA in 'Game of the Century'

そして、1967-68、カレッジバスケットボールの人気拡大を狙ったテレビ局、ヒューストン大学、UCLAは協同で“Game of the Century”と名付けた試合を1968年1月20日に組んだ。会場は5万人以上の観客を収容できるヒューストンのアストロドーム、試合はレギュラーシーズンの試合としては初の全米生中継となった。


試合当日、UCLAは47連勝中、ヒューストン大学もシーズン無敗だった。注目はルー・アルシンドラー(カリーム・アブドゥル-ジャバ―)vsエルビン・ヘイズのビッグマン対決だ。試合は両者譲らず残り2分を切って69-69の同点だった。が、最後にヘイズのジャンプシュートが決勝点となってヒューストン大学が71-69でアップセットを果たした。


しかし、その後にファイナル4の舞台で再び激突した両者だったが、今度は69-101でUCLAが大勝した。

Phi Slama Jam(1981-84)期: 無冠の帝王

主な実績
  • 準優勝×2(1983、84)
  • ファイナル4(1982)

1970年代後半、地元ヒューストンから優秀な選手達が続々と出てきた。ヒューストン大学に入学してきた。

主なヒューストン出身の選手達
ロブ・ウィリアムス(1979-83)
Larry Micheauzx(1979-83)
マイケル・ヤング(1980-84)
クライド・ドレクスラー(1980-83)
デイブ・ローズ(1980-83)

加えて、運にも恵まれた。ナイジェリアで発掘されたアキーム・オラジュワンがヒューストン大学を選んだのだ。


そして、臨んだ1981-82、NCAAトーナメント本戦を破竹の勢いで勝ち上がった新生クーガースはファイナル4の舞台に戻ってきた。が、ジョームス・ウォージー、マイケル・ジョーダン、サム・パーキンス擁するノースカロライナ大学の前にあと一歩及ばなかった。


翌1982-83、クーガースはカンファレンス内16勝0敗で最終週AP1位を獲得した。同時にニックネームの”ファイ・スラマ・ジャマ(Phi Slama Jama)”も誕生した。きっかけはダンクを連発している彼らを地元紙ヒューストンポストがHigh Slam Jam(Jamはダンクの意)を耳障りの良い感じにしただけなのだが、この語感の良さがファンのみならず本人たちにも気に入られたため、公式のニックネームとして採用されたのだ。


その後、ファイ・スラマ・ジャマは勢いそのままに26連勝で決勝の舞台に上がった。決勝の相手は奇跡的に勝ち上がってきたミラクルNCステイト大学、実力的にはヒューストン大学の圧勝でもおかしくなかったが、前半だけでファール3つを犯したクライド・ドレクスラーが試合を通して活躍できず、試合は最後のポゼッションまで分からない大接戦となり、そして、皮肉にもダンクがトレードマークのファイ・スラマ・ジャマはブザービーターダンクを決められて準優勝に終わった。


1983-1984、ドレクスラーのアーリーエントリー等で主力数名を失ったクーガースだったが、三度目の正直にしたいクーガースはオラジュワンとヤングの活躍で再びNCAAトーナメント決勝に進んだ。しかし、今度はオラジュワンがファールトラブルに陥ってしまい、パトリック・ユーイング率いるジョージタウン大学の前に屈した。


その後、ヤングとオラジュワンはNBA入りした。そして、ベニー・アンダースがキャンパス内でのいざこざで拳銃を取り出してしまったことがファイ・スラマ・ジャマ解散の決定打となった。事態を重く見たNCAAがヒューストン大学に対して今後3年間のNCAAトーナメント出場停止を言い渡したのだ。

ポスト・ファイ・スラマ・ジャマ時代

パット・フォスター時代(1986-93)

パット・フォスター(Pat Foster)がルイスの後任となった。フォスターは三度チームをNCAAトーナメント出場に導いたがいずれも1回戦敗退に終わり、一方でNBAで長くキャリアを築いたボー・アウトローやブルズ3連覇を支えたランディ・ブラウン等を輩出したが、ドレクスラーやオラジュワンのようなスタープレーヤーは出てこず、ルイスには遠く及ばなかった。しかし、振り返ってみれば、フォスターはまだマシだった。1993~2017年の間、クーガースは僅か1度しかNCAAトーナメントに出場していない。

ジェームス・ディッキー時代(2010-14)

ジェームス・ディッキー(James Dickey)が就任した。ディッキーは一度もクーガーズをNCAAトーナメントに導くことができなかったため、僅か4シーズンでの解雇となったが、その後、彼がコーチしたジョナサン・シモンズ(2010-12)、ジョー・ヤング(2010-13)、ダニュエル・ハウス(2012-14)がNBA入りを果たした。

現地観戦

ホームアリーナ

基本情報

名称: Fertitta Center
住所: 3875 Holman Street Houston, Texas 77004

ホームアリーナはキャンパス内にあるファーティッタ・センター(Fertitta Center)だ。ダウンタウンからは路面電車で行ける。最寄り駅はElgin / Third Ward駅だ。

チケット

同大はパワーカンファレンスに所属しているため、試合によってはチケットが売り切れる可能性もある。だから、チケットの購入は会場では無く、 TicketmasterStubHubVIVIDSETAS、公式サイト等で事前に購入するのがオススメだ。

カレッジギア

大学のグッズの購入はキャンパス内のブックストア(カレッジストア)がオススメだ。場所はグーグルマップで「大学名 bookstore」で検索すれば出てくる。


ブックストアは書店では無い。ブックストアはアパレルと日用品が売られている雑貨屋だ。と言うのも、アメリカの大学生は基本的に寮やキャンパス付近での生活を強いられるため彼らの生活に必要となるアイテムが置いてあるのである。


ちなみに、カレッジのアイテムはアリーナでも買える。が、品揃えは良くない。時間があれば是非ともキャンパス内or付近のブックストアに立ち寄ることを俄然オススメする。

まとめ

ケルビン・サンプソンがいる限りはヒューストン大学はチェック必至のチームだ。

合わせて行きたい: テキサスエリア

カレッジフープスの記事

参考

James Dickey resigns at Houston(espn.com)
Houston’s Quentin Grimes Ruled Eligible for 2019-20 Season After Kansas Transfer(bleacherreport.com)
Houston Players In The NBA(basketball.realgm.com)
Houston Cougars School History(sports-reference.com)
Legends profile: Elvin Hayes(nba.com)
13 Slam Dunks Fall From High Altitude(nytimes.com)

こぼれ話(有料)

Bro's Knowledge
 

以下、こぼれてしまった話は有料だ。最初に断っておくが、有料部分は重要な話では無い。有料部分は情報商材では無く、どちらかと言えば、”投げ銭”だと思ってくれれば良い。

管理人

俺達B.O.Brosはアメリカかぶれの”bro”2人だ。両者共にアメリカの大学に留学経験(1人は現在留学5年目)がある。元々はバスケ好きが高じて渡米したのだが、今ではバスケを通り越してアメリカ的価値観や文化そのものの虜になり、固まった休みが取れ次第、試合観戦がてらアメリカ各地を巡っている。トレンドの話はTwitter、俺達自身についてはInstagram、ブログのコンセプト外の話はnoteで発信しているので、興味があれば、そちらもチェックしてもらえれば、と思う。

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