うい。
Bro Institute of Ball&Tripは大人の野郎(通称bro)がバスケをより楽しむための知識とノウハウを提供しているサイトだ。
現在、broは完全に蚊帳の外にいる。と言うのも、broは無駄遣いをしないからである。ビジネスは金を使わない奴を対象には行われない。
しかし、言い換えれば、コンテンツはホイホイ金を出す奴らを対象に作られているということだ。実際、現在のバスケメディアも”そういった奴ら”をターゲットにしている。例えば、多くのメディアが「釣りタイトル」でPV数を稼ごうとしている訳だが、挑発的な見出しや俗物的なコンテンツで購買数を増やすのはまさにスポーツ新聞や週刊誌の手法であり、何故「スポーツ新聞や週刊誌がくだらないコンテンツを提供しているのか?」と言えば、それは彼らのターゲットも”そういった奴ら”だからである。
そして、その結果がbroが物足りなさを感じる今の状況だ。
一方、確かにこちらから合わせに行くのも1つの手ではあるだろうが、正直、大人の野郎がワーキャースタイルを続けるのは結構痛々しい。また、一部の人間は経済力で得たコレクションを見せびらかすことに走っているが、これは空港の写真をFacebookに上げるのと同様にオッサン的でダサい。(※コレクション自体は否定していない。)
と言うことで、大人の野郎に残された道はあらゆる知識を吸収して多面的且つ高い彩度でバスケを見る”bro way”しかない。
しかし、先述した通り、broを相手にしているコンテンツはない。故に、俺達が同志のために一肌脱いで始めたのがBro Institute of Ball&Tripだ。俺達はbroがバスケを楽しむための知識(情報の信頼性を担保する参考文献付き)とノウハウの提供を行っている。
と言うことで、今回は名門カンザス大学についてだ。
カンザス大学
基本情報
名称: University of Kansas
愛称: Jayhawks/KU
所属: Big 12 Conference
19-20: 28勝3敗
18-19: 26勝10敗NCAAトーナメント出場
17-18: 31勝8敗ファイナル4
16-17: 31勝5敗エリート8

近年の話: 優勝候補の光と影
近年、カンザス大学は毎年優勝候補に挙げれる程に強い。と言うのも、2013年にアンドリュー・ウィギンスとジョエル・エンビートをリクルートしてワン&ダンのNBAプロスペクト中心のチームで大失敗した過去があるのだが、最近は数年前の反省を活かして3~4年間大学に残って一緒にNCAAトーナメント制覇を目指す選手をリクルートするようになったからだ。
一方、カンザス大学はスキャンダルが続出している。2017年、アディダスのコンサルタントだったTJ・ガスノーラ(T.J. Gassnola)が有望なリクルートに金銭を渡してアディダスとスポンサーシップを結んでいる大学に入学するように仕向していたことが発覚したのだが、元マクドナルド・オール-アメリカンのビリー・プレストンとフォワードのシルビオ・デ・ソーサ(Silvio De Sousa)の保護者の関与が明らかになったのだ。2021年には新たにアシスタントコーチの関与も発覚した。
この件に関してHCビル・セルフ(Bill Self)は関与を否定しているが、関与を匂わすテキストメッセージが明るみに出ており、現在も調査は続いている。ちなみに、プレストンは事件の発覚直後にキャンパス内の交通事故を起こしたこともあって大学を去り、デ・ソーサは2020年まではチームに所属していたが、2019-20の乱闘騒ぎと別件の暴行容疑の発覚で結局は退部となった。
注目選手
マーカス・ギャレット(4年生/196㎝/#0/ガード)
Marcus Garrett pickpockets: pic.twitter.com/bUL7bb9NKK
— Jordan Sperber (@hoopvision68) February 13, 2020
マーカス・ギャレットはカンザス大学のディフェンスを支えるガードだ。ギャレットはロックダウンタイプのディフェンダーでは無いが、スティールやディフレクション等相手のボールに触れる能力が高い。そして、カンザス大学への忠誠心も高い。
ブライス・トンプソン(1年生/196cm/ガード)
ブライス・トンプソン(Bryce Thompson)はマクドナルド・オール-アメリカンのガードだ。パスが上手く、NBAドラフトにアーリーエントリーしたデボン・ドットソンの代わりにチームのPGを任されるはずだ。
ビッグ・12・カンファレンス
チーム史
ネイスミス博士時代(1898-1907)
工事中
フォグ・アレン時代(1907-09/1919-56): コーチングの父
- NCAAトーナメント優勝(1952)
- NCAAトーナメント準優勝×2(1940、53)
- NCAAトーナメント出場(1942)
1907年、教え子のフォグ・アレン(Phog Allen)が二代目カンザス大学HCに就任した。実際、アレンこそが現在のバスケットボールの基礎を築いた人物と言っても過言では無い。アレンはバスケットボールにコーチという概念をもたらし、さらにはこのレクリエーションが大きなビジネスになることを実演した。ネイスミス博士が発明した原石を磨き上げてダイヤモンドにした。
まず、アレンはカンザス大学の選手時代から隣町のベイカー大学でコーチをやっていた。しかし、実は”教育者”のネイスミス博士はバスケットボールはコーチ不要のアクティビティだと考えていた。博士はバスケットボールをキリスト教の考えに基づいた紳士を育成するための体育として発明した。例えば、バスケットボールは小さな身体接触でも違反行為(ファール)となるが、実はこれは博士がアメフトやラグビーのような激しく身体をぶつけ合う行為はキリスト教的な教育観に反した野蛮な行為だと常々思っていたことに起因している。
しかし、そんな博士の教育観等をお構いなしにバスケットボールのスポーツ性に可能性を見出したアレンはバスケットボールをスポーツ化させていった。実際、教え子にはケンタッキー大学の基礎を築いたアドルフ・ラップとノースカロライナ大学でマイケル・ジョーダンをコーチしたディーン・スミス等がいる。
さらに、アレンはバスケットボールをビジネスにした人物でもある。彼はバスケットボール用シューズ、栄養ドリンク、コーチングやバスケットボールに関する自著を販売していた。例えば、シューズについての高評価レビューを新聞に記載した場合、そのチームにシューズを提供する等のマーケティングも行われていた。
1956年、70歳になっていたアレンは引退を表明した。アレンが最後にチームに残したのがウィルト・チェンバレンである。
当時、フレッシュマンルールといって1年生は試合に出場できないルールが存在した。故に、1955-56、チェンバレンは公式戦には出場していない。
ディック・ハープ時代(1956-64): チェンバレン擁するも…
- NCAAトーナメント準優勝(1957)
1956年、アレンの愛弟子のディック・ハープ(Dick Harp)がウィルト・チェンバレンを相続してアレンの跡を継いだ。1956-57、チェンバレンの獅子奮迅の活躍でジェイホークスはNCAAトーナメント決勝に進んだ。
しかし、ノースカロライナ大学はチェンバレンにトリプルチームを仕掛け、チェンバレンを封じられたKUは54-53のロースコアで優勝を逃した。翌1957-58、KUは、雪辱を晴らしたいところだったが、NCAAトーナメント出場すら果たせず、チェンバレンは1958年に卒業を待たずしてハーレム・グローブトロッターズと契約した。
当時、NBAはアーリーエントリーを許していなかったため、NBAドラフトのエントリー条件を満たすために興行団体のハーレム・グローブトロッターズと契約した。1959年、NBAドラフトエントリー要件を満たしたチェンバレンは地元出身選手を優先的に指名できるテリトリアル指名でフィラデルフィア・ウォリアーズに加入した。
その後、ビル・ブリッジス(Bill Bridges)が花開いた。ブリッジスは後にNBAオールスターや守備チームに複数回選出されたハープの唯一の実績とも言える選手だ。が、それでもチームはエリート8が精々だった。その結果、ハープはHC職を退くこととなった。
テッド・オーウェンズ時代(1964-83): ファイナル4進出
- ファイナルフォー×2(1971、74)
- エリート8(1966)
- スウィート16(1981)
実はドラマチックだった準々決勝(1965-66)
1964年、ハープのアシスタントのテッド・オーウェンズ(Ted Owens)がHCに昇格した。1965年、孤軍奮闘していた4年生のウォルト・ウェズリーに相棒のジョジョ・ホワイトが加わり、火力が増したジェイホークスはビッグ8を13勝1敗と大きく勝ち越し、NCAAトーナメント出場を決めた。
そして、2回戦(準々決勝)、対戦相手はテキサスウェスタン大学(現テキサス大学エルパッソ校)だった。
テキサスウェスタン大学は人種差別が今以上に醜かった時代に黒人選手を積極的に起用して全員白人のケンタッキー大学を破ってNCAAトーナメント優勝を果たした。
しかも準々決勝は決勝よりも激戦だった。試合はダブルオーバータイムに突入、そして、ホワイトが左コーナーから放ったシュートがブザーと同時にネットに吸い込まれてKUが劇的な勝利を果たした…と思われたが、ホワイトはコートの外に出ていたとの判断が下されてホワイトの劇的なブザービターは幻となった。
その後、ホワイトは4年次にメキシコシティ五輪メンバーとして金メダル獲得に貢献、卒業後、1969年のNBAドラフトにて1巡目9位でボストン・セルティックスに加入、1970年代にオールスター常連となり、2度の優勝(1974&76)に貢献、内1度はFMVP(1976)、引退後着用した#15は永久欠番となった。
ツインタワー(1970-71)
ホワイトに代わって新たな武器となったのがデイブ・ロビッシュとロジャー・ブラウンのツインタワーだ。1970-71、ロビッシュ(19.2点、10.1リバウント)とブラウン(平均11.2点、11.1リバウンド)でインサイドを圧倒したジェイホークスは24勝1敗でレギュラーシーズンを終え、本戦でも2回勝ってファイナル4へと進出した。
しかし、1970年代前半はジョン・ウッデン大王朝時代、シドニー・ウィックス、カーティス・ロウ、ヘンリー・ビビー(元NBA選手マイク・ビビーの父)を擁するUCLAを相手にジェイホークスは好勝負を演じたものの、勝負は試合巧者のUCLAに転んだ。
スタープレーヤー不在(1973-74)
ロビッシュとブラウンの卒業後、ジェイホークスは負け越しのシーズンが続いた。1973-74、相変わらずスタープレーヤーのいないロスターだったが、平均二桁得点者5人の全員バスケでビッグ8を13勝1敗で乗り切り、NCAAトーナメント出場を決め、その後、優勝校のマーケット大学に敗れるまで勝ち進み、ファイナル4へと進出した。
低迷(1974-83)
しかし、スタープレーヤー無しにNCAAトーナメントで勝ち上がることは困難を極めた。オーウェンズの在任最後の9シーズンでNCAAトーナメントに出場したのは僅か3回、その内2回は1回戦敗退、そして、最後2シーズンは負け越しと散々なものだった。
ラリー・ブラウン時代(1983-88): 劇薬
- NCAAトーナメント制覇(1988)
- ファイナルフォー(1986)
オーウェンズの後任にはラリー・ブラウンが就任した。ブラウンは僅か5シーズンの短い任期の間にNCAAトーナメント優勝、ファイナル4、全体1位指名選手の輩出を果たした。
1987-88、KUは何とかNCAAトーナメント出場にこぎ着けたものの成績は18勝11敗と優勝候補からは程遠い位置にいたが、ダニー・マニングが勝負強さを発揮した。本戦、ジェイホークスはレギュラーシーズン中に黒星を喫していたカンザス・ステイト大学、デューク大学、オクラホマ大学に次々とリベンジを果たし、終わってみればNCAAトーナメント制覇を成し遂げた。
その後、ブラウンはサンアントニオ・スパーズのHCとなり、マニングはNBAドラフトで1巡目1位指名を受けてロサンゼルス・クリッパーズに入団した。
ロイ・ウィリアムス時代(1988-2003): パワーハウス化
- NCAAトーナメント準優勝×2(1991、2003)
- ファイナル4×2(1993、2002)
- エリート8(1996)
後任にはロイ・ウィリアムス(Roy Williams)が抜擢された。当時のアスレティック・ディレクターのボブ・フレデリック(Bob Frederick)は長期間HC職を全うできる人物を探していた。ウィリアムスはカンザス大学の卒業生でも無ければD1でのHC経験も無かったが、カンザス大学卒業生でアレンの教え子のディーン・スミスの愛弟子、そしてカンザス大学への敬意を持っていたため、フレデリックはウィリアムスが適任者だとしてオファーを出した。
就任3年目、ウィリアムスは後の殿堂入りコーチとしての片鱗を見せた。1991年、ウィリアムスはファイナル4の舞台で師匠スミス率いるノースカロライナ大学を破って決勝に進出した。1993年、日系アメリカ人のレックス・ウォルターズが中心となって再びファイナル4に進んだ。
これによって世間一般からの評価を勝ち取ったウィリアムスは有望なリクルートを巧みに口説き落とした。1995-98の3年間、KUはラエフ・ラフレンツ、ポール・ピアース、ジャック・ボーン、スコット・ポラードなど国内1、2位を争うパワーハウスと化し、彼らと代わるようにして1999年にはカーク・ハインリック、ドリュー・グッデン、ニック・コリソンが入学してきた。
しかし、どちらのチームでも残念ながら惜しくも優勝には至らなかった。
そして、2003年、相棒フレデリックが既に引退していたこともあり、ウィリアムスはKUへの忠誠心で2000年に一度断っていた母校ノースカロライナ大学のHC職のオファーを受けた。
ビル・セルフ時代(2003-)
- NCAAトーナメント優勝(2008)
- NCAAトーナメント準優勝(2012)
- ファイナル4(2018)
- エリート8()
優勝(2007-08)
2003年、ビル・セルフがHCに就任した。セルフはライバルのオクラホマステイト大学出身だが、卒業後の1985-86にブラウンのアシスタントを務めた経験があった。加えて、経験値も高かった。セルフはNCAA D1に留まることすらままならなかったオーラル・ロバーツ大学をNITに招待されるまでに復興させ、タルサ大学ではチームを同大史上最高成績のエリート8に導き、そして、ハイメジャー校のイリノイ大学でも結果を残していた。
2007-08
ダーネル・ジョンソン(2004-08)
サーシャ・カーン(2004-08)
ブランドン・ラッシュ(2005-08)
マリオ・チャルマース(2005-08)
ダレル・アーサー(2006-08)
コール・オルドリッジ(2007-10)
2007-08、ロスター全員がセルフ自身がリクルートした将来のNBA選手達で埋まった。攻守共にバランスの取れたジェイホークスは開幕20連勝を達成、ビッグ12のレギュラーシーズンではテキサス大学と同率1位だったものの、カンファレンストーナメントはテキサス大学を倒して単独1位となり、中西部地区第1シードを獲得した。
そして、準々決勝、それまで全て15点差以上の差をつけて完勝してきたジェイホークスだったが、ステフィン・カリー率いるデビッドソンカレッジが牙をむいてきた。
試合は一進一退の攻防が続いた。カンザス大学はステフィン・カリーのスリーを4/16に抑えることに成功したが、逆を突かれて幾度となくレイアップ、ミッドレンジ、アシストを決められ、しかも、最も決められてはならない勝負所でのスリーを許してしまった。
しかし、59-57のスリー1本で逆転される土壇場でカンザス大学はカリーからボールを離すことに成功、その後、ワイドオープンのスリーを許したため運が悪ければ負けていたが、幸運にもそのシュートは外れ、ファイナル4進出を果たした。
準決勝、対戦相手は前任者ウィリアムスがHCに就任した優勝候補筆頭のノースカロライナ大学だった。
ノースカロライナ大学(2007-08)
タイラー・ハンズブロー
タイ・ローソン
ウェイン・エリントン
ダニー・グリーン
ノースカロライナ大学はカレッジベストプレーヤー2人に後にNBAで活躍するシューター2人が脇を固める悪魔の様なロスターだったが、上級生中心のカンザス大学が試合を有利に進め、ウィリアムスの果たせなかったNCAAトーナメント制覇を追った。
翌2008-09、主力メンバー全員が残ったノースカロライナ大学はNCAAトーナメント制覇を成し遂げた。
決勝戦、逆ブロックを勝ち上がってきたのはデリック・ローズをリクルートしたジョン・カリパリ率いるメンフィス大学だった。
試合は残り10.8秒、60-62の展開でカンザス大学はローズにFT2本を与えてしまった。しかも、タイムアウトは残っていなかった。
しかし、FT1本を外したローズに救われたカンザス大学はエンドラインからボールを運び、パスを受けたチャルマースが土壇場で同点スリーを沈め、試合は延長戦に突入した。その後、地力の差で上回っているカンザス大学がストロングスタイルで優勝を決めた。
苦い思い出(2009-10)
2009-10
シェロン・コリンズ(2006-10): コンセンサス・オール-アメリカン1stチーム
コール・オルドリッジ(2007-10): 2010年1巡目11位
タイショーン・テイラー(2008-12): 2012年2巡目41位
マーキフ・モリス(2008-11)
マーカス・モリス兄弟(2008-11)
ゼイビア・ヘンリー(2009-10): 2010年1巡目12位
2009-10、優勝から早1年、カンザス大学は再び優勝を狙えるチームになった。同シーズンにコンセンサス・オール-アメリカンの1stチームに選出される4年生PGのシェロン・コリンズに後のNBAドラフト指名選手5名を加えたジェイホークスは2007-08に見劣りしない経験と才能に溢れたチームだった。
開幕後、カンザス大学は大方の予想通りにノンカンファレンスシーズンを14連勝で切り抜け、その後テネシー大学に敗れて1月中にAP1位を逃していた時期もあったが、その後ビッグ12でも13連勝を飾り、最終的に32勝2敗でNCAAトーナメントに臨んだ。
しかし、2回戦で第9シード、将来のNBA選手無し、NCAAトーナメント出場回数5回の典型的なミッドメジャーのノーザンアイオワ大学にまさかのアップセットを食らって失意のままにローレンスに帰ることとなった。
才能の前に屈する(2011-12)
主な選手(2011-12)
トーマス・ロビンソン(2009-12): 2012年1巡目5位
タイショーン・テイラー(2008-12): 2012年2巡目41位
ジェフ・ウィットニー(2009-13): 2013年2巡目39位
エリジャウ・ジョンソン(2009-13): ファイブスター
2011-12、主力メンバーはセルフ好みの上級生だけで固められたロスターとなった。例年に比べるとタレントレベルで劣っていたため当初の評価は高くはなかったが、成熟度が一層増してきたジェイホークスはビッグ12を16勝2敗と大きく勝ち越し、中西部地区第2シードを獲得した。
その後、ジェイホークスはエリート8で将来のNBA選手7名を擁するノースカロライナ大学を、続くファイナル4でパワーハウスのオハイオステイトをアップセットして周囲の期待を裏切って決勝に臨んだ。
ケンタッキー大学(2011-12)
アンソニー・デイビス(2011-12/1巡目1位)
マイケル・キッド-ギルクリスト(2011-12/1巡目2位)
テレンス・ジョーンズ(2010-12/1巡目18位)
マーキス・ティーグ(2011-12/1巡目29位)
ドロン・ラム(2010-12/2巡目42位)
ダリアス・ミラー(2008-12/2巡目46位)
決勝戦、カンザス大学はアンソニー・デイビスを6点(FG1/10)に抑えることに成功した。しかし、逆にデイビスに6ブロックと16リバウンドを許してペイントエリア内を支配され、結局、セルフの哲学を具現化した成熟した上級生で構成されたチームは対極的に才能溢れる下級生達に破れた。
リクルートに本気を出す(2013-15)
2013-14、カンザス大学は同大史上1、2位を争うタレントに溢れたロスターとなった。セルフはNBAポテンシャルのリクルートをしていなかった訳では無いが、ワン&ダンで大学を去るタイプでは無く、3~4年間大学に残って一緒にNCAAトーナメント制覇を目指すタイプだった。
個人的な推測だが、2012年NCAAトーナメント決勝で銀河系軍団ケンタッキー大学に敗退したことがセルフにリクルートに本気を出させる理由の1つである可能性は高い。
しかし、セルフは選手の才能を発揮させるカリパリのようなタイプでは無い。最終成績は25勝10敗でNCAAトーナメント2回戦敗退というセルフらしからぬ結果に終わった。
ワン&ダンが濃厚なリクルート(2014)
クリフ・アレクサンダー
ケリー・ウーブレ
翌2014-15、ワン&ダンでチームを去ったウィギンズとエンビートに代わりクリフ・アレクサンダーとケリー・ウーブレの2人のマクドナルド・オール-アメリカンをリクルートしたが、ジェイホークスは再び2回戦敗退となった。
ワン&ダンが濃厚なリクルート(2015)
チェイク・ディアロ
カールトン・ブラッグJr
そして、2015-16、アレクサンダーとウーブレに代わってチェイク・ディアロとカールトン・ブラッグJrの2人のマクドナルド・オール-アメリカンをリクルートしたが、セルフは上級生を中心としたローテーションを組んでしまって、結果的にエリート8に進出したものの、下級生達の出番はほとんど無かった。
ワン&ダンが濃厚なリクルート
2016: ジョシュ・ジャクソン
2017: ビリー・プレストン
2018: クエンティン・グライムス
以降、セルフはワン&ダンの可能性が高いファイブスターリクルートを呼び込みはするものの、0~2名に限定して、毎年ある程度は選手が残るような調整をしている。
現地観戦
まとめ
カンザス大学のアレン・フィールドハウスは一度は行くべき場所だ。
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カンザスシティエリア

カンザスシティエリア(中西部)
カンザスシティエリアはカンザスシティを中心にイリノイ州、アイオワ州、ミズーリ州、ネブラスカ州、カンザス州の主要都市で括ったエリアだ。北にミネソタエリア、東に五大湖エリア、南東にオハイオバレーエリア、南にテキサスエリア、西にマウンテンエリアがある。
カンザスシティ(ミズーリ州)
カンザスシティはジェームス・ネイスミス博士主導で全米初の大学No.1を決める大会が開催されたカレッジフープスの聖地だ。故に、同大会組織委員会が前身のNAIA本部とカレッジフープスの博物館がある。また、NCAA D1のミズーリ大学カンザスシティ校(UMKC)がキャンパスを構えている。
カンザス大学(カンザス州ローレンス)
カンザス大学はバスケットボールの発明者ジェームス・ネイスミス博士が初代HCを務めた由緒正しい名門だ。同大はNBA選手の育成よりもNCAAトーナメント制覇に重きを置いている。
カンザスステイト大学(カンザス州マンハッタン)
カンザスステイト大学はトライアングルオフェンスを初めて実戦導入した歴史を持っている。同大は強豪ビッグ12カンファレンスに所属している。
ウィチタ(カンザス州)
ウィチタはカンザス州最大の都市だ。強豪ウィチタステイト大学と全米トップレベルの高校サンライズ・クリスチャン・アカデミーがある。
参考
Kansas Jayhawks School History(sports-reference.com)
Kansas Players In The NBA(basektball.realgm.com)
Kansas Basketball: The Top 50 Players in School History(bleacherreport.com)
Kansas to ‘Fiercely Dispute’ Charges in Notice of Allegations(si.com)
Kansas Forward Silvio De Sousa Eligible for 2019-20 Season After Winning NCAA Appeal(si.com)
Silvio De Sousa Suspended 12 Games by Big 12 After Kansas State Brawl(si.com)
Former KU basketball player Silvio De Sousa facing charge of aggravated battery, court records show(www2.ljworld.com)
New court filing: Kansas assistant coach talked of routing funds to recruit’s family(theathletic.com)
Kansas 2020 Basketball Commits(247sports.com)
Harp, Dick(khof.org)
Joseph Henry “Jo Jo” White(hopphall.com)
1966: Miners edge Kansas, 81-80, in overtimes(elpasotimes.com)
Throwback Thursday: Ted Owens(kuathletics.com)
Hiring Williams at Kansas a gamble that paid off(espn.com)
Frederick, Bob(kshof.org)