うい。
Bro Institute of Ball&Tripはbroに向けてバスケ界隈の解説&紹介を行っているサイトだ。
そして、各大学の記事は「近年の話」「チーム史」「現地観戦情報」の構成で各チーム(男子バスケ部)について紹介している。
ちなみに、俺達が記事にしている大学は実際に訪れた場所だけだ。もし俺達に紹介してほしい大学がある場合、サイドバーやフッターの投げ銭から1校につき現地観戦費用5万円で現地訪問して記事にするので、「遠戚を訪ね周る」「中高時代の同級生に急に連絡する」「プロミスに駆け込む」なりで都合をつけてくれ。
今回はMSGをホームアリーナとする古豪St.ジョーンズ大学を紹介する。
St. ジョーンズ大学
基本情報
名称: St. John’s University in Queens
愛称: Red Storm
所属: ビッグ・イースト・カンファレンス
19-20: 17勝15敗
18-19: 21勝13敗NCAAトーナメント1回戦
17-18: 16勝17敗
16-17: 14勝19敗
近年の話: マイク・アンダーソンが就任1年目に実力を示す
2019-20、クリス・マリンに代わりマイク・アンダーソンがHCに就任した。アンダーソンは1994年にアーカンソー大学で全米制覇を成し遂げた黒人HCノーラン・リチャードソンの一番弟子だった人物で、リチャードソンの”40 minutes of Hell”と呼ばれるタフなディフェンススタイルを継承している。
開幕前、シャモリ―・パンズとジャスティン・サイモンの2人がアーリーエントリーでチームを去たSJUはほとんど勝てないと予想されていたが、早々にチームにディフェンス意識を根付かせたアンダーソンはタレントに欠くチームでウェスト・バージニア大学とアリゾナ大学から大金星を挙げる等、最終的には17勝15敗とまずまずの成績でシーズンを終えた。
しかし、2020年、チームトップスコアラーのL.J. Figueroaがオレゴン大学へ転校してしまった。
注目選手: Julian Champagnie(201cm/2年/#2)
注目選手はビッグ・イースト・オール-ルーキー・チーム入りを果たしたフォワードのジュリアン・シャンペーンだ。2019-20、シャンペーンは平均9.9P、6.5Rの成績を残した。
ビッグ・イースト・カンファレンス
チーム史
第一次ジョセフ・ラップチック時代(1936-47)
- NIT連覇(1943、44)
- NIT準決勝進出×2(1939、45)
- NIT出場×3(1940、46、47)
1936年、ジョセフ・ラップチック(Joe Lapchick)がHCに就任した。当時、ナショナル・インビテーション・トーナメント(National Invitation Tournament)は、マジソン・スクエア・ガーデンで全試合を開催していたため、NCAAトーナメントよりも格式が高かったのだが、NITは地元ニューヨークの強豪プログラムだったSJUを毎年のように招待し、その期待に応えるようにSJUは1943年と1944年にNIT連覇を達成した。
フランク・マクガイア時代(1947-52)
- NCAAトーナメント準優勝(1952)
- NCAAトーナメント出場(1951)
- NIT準決勝進出×2(1950、51)
- NIT出場×2(1949、52)
1947年、ニューヨーク・ニックスのHCになったラップチックに代わって卒業生のフランク・マクガイア(Frank McGuire)がHCに就任した。1951年と1952年、チームはNITとNCAAトーナメントのどちらにも出場し、1952年にはNCAAトーナメントで準優勝を果たした。その後、この手腕を買われたマクガイアはノースカロライナ大学のHCに招聘され、1957年にウィルト・チェンバレン擁するカンザス大学を破ってNCAAトーナメント制覇を成し遂げた。
第二次ジョセフ・ラップチック時代(1956-65)
工事中
NITは1974年までを評価している。1975年、NCAAトーナメントは出場枠を32校に増やした。
第一次ルー・カーネセッカ時代(1965-70)
- スウィート16×2(1967、69)
1965年、健康状態が思わしくないラップチックに代わって卒業生のルー・カーネセッカ(Lou Carnesecca)がHCに就任した。1966-67、カーネセッカはラップチックから相続したロイド”ソニー”ドーブを無駄にすること無く、チームをスウィート16進出に導き、1968-69、自身がリクルートしたジョン・ウォーレンとビリー・ポールツを率いて3年連続のNCAAトーナメント出場とスウィート16進出を果たし、上記の実績を評価されてニューヨーク・ネッツ(ABA)のHCに就任した。
第二次ルー・カーネセッカ時代(1973-92)
- ファイナルフォー(1985)
- エリート8×2(1979、91)
- スウィート16(1983)
1973年、カーネセッカは再び母校に帰ってきた。
クリス・マリン(1981-85)
1981年、クリス・マリンが入学してきた。マリンはニューヨークシティ界隈では知られた存在だった。と言うのも、マリンは白人ながらブロンクスやハーレム地区といった黒人が多く住む”フッド”に顔を出してはコート上で暴れまくっていたからだ。1982-83、マリンはビッグイーストの年間最優秀選手賞と評される活躍でチームの東地区第1シード獲得に貢献、翌1983-84、ケビン・ウィリアムスとデビッド・ラッセルの2巡目選手コンビの抜けた穴は大きく、チームは大幅に成績を落としたが、マリンは2年連続のビッグイーストMVPを受賞する活躍だった。
1984-85、ウォルター・ベリー、ビル・ウェニントン、マーク・ジャクソンといった選手達が成長したSt.ジョーンズ大学は再び優勝候補となった。レッドメンはレギュラーシーズン中には19連勝を飾り、ビッグイーストのタイトルこそ取りこぼしたが、続く本戦でもアーカンソー大学、ケンタッキー大学、NCステイト大学といった強豪を破って30年振りのファイナル4進出を果たした。
そして、準決勝、対戦相手は同じビッグイーストのライバルでありながら前年度NCAAトーナメント制覇を果たして絶大な人気を誇っていたパトリック・ユーイングとジョン・トンプソン率いるジョージタウン大学だった。しかも、彼らこそがSJUの19連勝を止め、なお且つカンファレンストーナメント優勝を奪った張本人だった。
案の定、苦手意識を拭えていなかったSJUはジョージタウン大学に苦戦、軍配はジョージタウン大学に上がった。
クリス・マリンの主なチームメイト
デビッド・ラッセル(1979-83): 1979年2巡目37位
ケビン・ウィリアムス(1979-83): 1983年2巡目46位
ウォルター・ベリー(1984-86): 1986年1巡目14位
マーク・ジャクソン(1983-87): 1987年1巡目16位
シェルトン・ジョーンズ(1984-88): 1988年2巡目27位
ポストマリン期(1985-92)
レジェンドのさらに上に行った男(1985-86)
ウォルター・ベリー(1985-86)
ジョン・ウッデン賞
オスカー・ロバートソン賞
コンセンサス・オール-アメリカン(1stチーム)
その他の年間最優秀選手賞
1985年、絶対的エースのマリンが抜けたSt.ジョーンズ大学の評価は高くなかった。しかし、マリンに次ぐ第二の得点源に過ぎなかったウォルター・ベリーがマリンのさらに上を行くカレッジベストプレーヤーに成長した。1985-86、ベリーは平均23得点、11リバウンドの活躍でレッドメンをジョージタウン大学に2勝、ビッグイーストのレギュラーシーズンとカンファレンストーナメントの両方で優勝、西地区第1シードに導き、残念ながら本戦ではオーバーン大学にアップセットされたが、自身は数々の賞を総なめした。
ジェイソン・ウィリアムス(1988-89)
1988-89、マリン、ベリー、ジャクソンに続いてレッドメンの長となったのが1998年にNBAオールスターに選出されることになるジェイソン・ウィリアムスだ。しかし、ウィリアムスは平均20点近い活躍を見せたが、チームはビッグイースト内で6勝10敗と負け越し、7年連続で出場していたNCAAトーナメントも途切れてしまった。
マリーク・シーリー(1989-92)
1989-90、戦線離脱を余儀なくされたエースのウィリアムスに代わって頭角を現したのがマリーク・シーリーだった。シーリーの活躍でNCAAトーナメント出場を果たしたレッドメンは準優勝のデューク大学にあと一歩のところまで追い詰めた。
1990-91、ウィリアムスがNBA入りを果たしたチームの平均得点はリーグ200位に落ち込んでいたが、シーリーの獅子奮迅の活躍で一時期AP5位に評される程の好成績を残し、本戦では優勝候補のオハイオステイト大学をアップセットしてエリート8進出を果たした。
しかし、レッドメンは初優勝に燃えるデューク大学に今度は完敗、翌1991-93は19勝11敗のNCAAトーナメント1回戦敗退を喫し、カーネセッカ時代は幕を閉じた。
その他
フェリペ・ロペス(1994-98):アイバーソンより高い評価を受けたNo.1高校生
マイク・ジャービス時代(1998-2004)
1999年、チームはNCAAトーナメントエリート8に進出した。
クリス・マリン時代(2015-19)
現地観戦
ホームアリーナ
MSG
名称: Madison Square Garden
住所: 4 Pennsylvania Plaza, New York, NY 10001
St.ジョーンズ大学
名称: Carnesecca Arena
住所: 80-00 Utopia Pkwy, Jamaica, NY 11432
SJUはマディソン・スクエア・ガーデンをホームアリーナとして使用している。ただ、試合によっては下記の大学キャンパス内のアリーナで試合をするので注意が必要だ。
チケット
同大はパワーカンファレンスに所属しているため、試合によってはチケットが売り切れる可能性もある。だから、チケットの購入は会場では無く、 Ticketmaster、StubHub、VIVIDSETAS、公式サイト等で事前に購入するのがオススメだ。
まとめ
HCマイク・アンダーソンが如何に重要な人物かを知るためにもノーラン・リチャードソン時代のアーカンソー大学のドキュメンタリー”40 minutes of Hell”の視聴はマストだ。リチャードソンが分かればアンダーソンが分かる。
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ボスウォッシュエリア

ボスウォッシュエリア(北東部)
ボスウォッシュエリアは「ボストン~ワシントンD.C.」間の東海岸のメガロポリスのエリアだ。北にニューイングランドエリア、南にアトランティックエリア、西に五大湖エリアがある。
ボストン(マサチューセッツ州)
ボストンはアメリカ最古の都市だ。名門ボストン・セルティックスがある。同時にボストンは東海岸随一の学生街だ。ACC所属のボストン・カレッジ、実はバスケも強いハーバード大学、小川春太選手が通うマサチューセッツ工科大学(NCAA D3)等がキャンパスを構えている。
プロビデンス(ロードアイランド州)
プロビデンスはボストンの隣町だ。強豪プロビデンス大学と実力校ロードアイランド大学に加え、アイビー・リーグのブラウン大学、台湾人プレーヤーのBenson Linがプレーしているブライアント大学の計4校のNCAA D1大学がキャンパスを構えている。
バスケットボール殿堂(マサチューセッツ州)
マサチューセッツ州スプリングフィールドはバスケットボールが誕生した町だ。バスケットボール殿堂とスプリングフィールドカレッジがある。
コネチカット大学(コネチカット州)
名門コネチカット大学はボストンとニューヨークの間にある。
ニューヨーク(ニューヨーク州)
ニューヨークはバスケットボールのメッカだ。NBAはニックスとネッツ、NCAAはSt.ジョーンズ大学、シートン・ホール大学、その他ミッドメジャー11校がある。さらには大学や高校のイベントが年中開催されている。ラッカーパークやダイクマン等のストリートボールの聖地も多い。
トレントン(ニュージャージー州)
トレントンは世界で初めてプロバスケットボールの試合が行われた町だ。1896年、興行団体のトレントンズはメイソニック・テンプル・ホールで試合を開催して試合後に売り上げを選手に還元した。
フィラデルフィア(ペンシルベニア州)
フィラデルフィアはチェンバレンとコービーを育てたタフな街だ。シクサーズと2016年と2018年にNCAAトーナメントを制覇したビラノバ大学がある。NYCとワシントンD.C.の間にあるためアクセスが良い。
ボルチモア(メリーランド州)
メリーランド州ボルチモアは首都ワシントンD.C.の隣にある学生街だ。2018年にNCAAトーナメント史上最大のアップセットをかましたUMBC等計5校のミッドメジャー校がキャンパスを構えている。コロナ関連のニュースでお馴染みのジョンズ・ホップキンス大学(NCAA D3)も実はボルチモアにある。
ワシントンD.C.
首都ワシントンD.C.は実はバスケが盛んなエリアだ。八村塁選手が所属するワシントン・ウィザーズはもちろん、ユーイングがHCを務めるジョージタウン大学、強豪メリーランド大学、渡邉雄太選手の母校ジョージ・ワシントン大学があり、夏には複数のPro-Amリーグが開催されている。










参考
Mike Anderson Named St. John’s Men’s Basketball Head Coach(redstormsports.com)
2020 Pomeroy College Basketball Ratings(kenpom.com)
SEC Storied: 40 Minutes of Hell(secsports.com)
Julian Champagnie(basketball.realgm.com)
St. John’s (NY) Red Storm School History(sports-reference.com)
St. John’s Players In The NBA(basketball.realgm.com)
An Issue That Follows the NBA Like a White Shadow(washingtonpost.com)
LeRoy Ellis, rebounding specialist, dies of cancer(expressnews.com)