【NCAA】ネバダ大学ラスベガス校(UNLV)

うい。現地観戦研究家のBall Otaku Bros(@b_o_bros)だ。

今回は1980年代に一世を風靡したネバダ大学ラスベガス校を紹介する。

ネバダ大学ラスベガス校(UNLV)

基本情報

名称: The University of Nevada, Las Vegas
愛称: Runnin’ Rebels/UNLV
所属: Mountain West Conference
19-20: 17勝15敗

Men's Basketball
The official Men's Basketball page for the University of Nevada Las Vegas Rebels

近年の話: 新HCに注目!!

2019年、TJ・オツエルバーガー(TJ Otzelberger)がHCに就任した。オツエルバーガーは全米トップレベルのアシスタントコーチとして知られた人物で、アイオワステイト大学ではグレッグ・マクダモート、ワシントン大学ではロレンゾ・ロマーの右腕としてリクルートやスカウティング面で彼らを支えた。その後、2016年にサウスダコタステイト大学のHCに就任したオツルバーガーは初年度から2年連続でチームをNCAAトーナメント出場に導き、HCとしても十分にやれることを証明した。

マウンテン・ウェスト・カンファレンス

名称: Mountain West Conference
愛称: MWC
設立: 1999年
本部: コロラド州コロラドスプリングス
HP: themw.com

所属校(主な所在地)※太字は重要校
ネバダ大学リノ校(ネバダ州リノ)はハイメジャーに勝るとも劣らない強豪だ。ジャベール・マギーとファジーカス・ニック選手の母校でもある。
サンディエゴステイト大学(サンディエゴ)はカワイ・レナードの母校だ。
ユタステイト大学(ユタ州)は強豪だ。
ネバダ大学ラスベガス校(UNLV)は1990年前後に一世を風靡したチームだ。毎年夏、大学はサマーリーグや米国代表キャンプの会場になる。
カリフォルニアステイト大学フレズノ校はポール・ジョージの母校だ。卒業生にはジェリー・ターカニアンもいる。
ボイシ・ステイト大学
コロラド・ステイト大学
ニューメキシコ大学(アルバーカーキー)はボブ・ナイトの弟子デイブ・ブリスが率いて1990年代にNCAAトーナメント常連校となった。
サンノゼ・ステイト大学(ベイエリア)はベイエリアで唯一MWC校だ。ブランドン・クラークがゴンザガ大学へ編入する前にプレーしていた。
ワイオミング大学(ワイオミング州)は1942-43にNCAAトーナメントを制覇、その後レッドクロスゲームでNITチャンピオンのSt.ジョーンズ大学を破り、堂々の全米No.1に輝いて。近年ではラリー・ナンスJrがプレーしていた。
エアフォース

MWCは山岳地帯と西海岸の大学が集まったカンファレンスだ。近年は群雄割拠で面白い。ネバダ大学が覇権を握ったかと思えばHCエリック・ミュゼルマンが去ったため王朝も終わりを告げようとしている。ニーミアス・キエイタのユタ・ステイト大学やブランド力だけは高いUNLVは注目だ。

チーム史

ジェリー・ターカニアン期(1973-92): 小規模校からベガスの象徴に!!

ジェリー・ターカニアン着任

1973年、UNLVはジェリー・ターカニアン(Jerry Tarkanian)をHCに招聘した。ターカニアンは賛否両論の人物だ。彼はカレッジバスケをかなり前進させた。故に、殿堂入りした際は反対意見も多かった。

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1960~70年代はジョン・ウッデン率いるUCLAの大王朝時代だった。UCLAはルー・アルシンドラー(カリーム・アブドゥル-ジャバー)やビル・ウォルトンを擁し、10度もNCAAトーナメントを制覇していた。

1960年代、タークはロングビーチステイト大学(LBSU)をUCLAを脅かす存在にまで仕立て上げた。実際にLBSUがUCLAに勝ったことは無かったが、ウッデンがLBSUとの試合を避けていたため、両校は同じロサンゼルスエリアにキャンパスを構えていながら対戦したのは僅か5回だけだった。


タークのラインナップは黒人、JUCO編入生、問題児のアベンジャーズだった。当時、「黒人選手を同時に起用するのは2人まで」という暗黙の了解があったのだが、タークはそれを無視して黒人学生を好きなようにプレーさせた。しかも、タークは様々な理由で短大に行かざるを得なかった選手やそもそも大学に行けないような選手を積極的にリクルートした。その結果、多くの学生がNCAAでプレーできるチャンスを得た。

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現在、JUCO選手を編入させてチームを強化するのは当たり前になっている。

しかし、掟破りの行為はNCAAや他大学のコーチ達を敵に回した。タークは多くの選手が大学を卒業していなかった点やロスターの1人以外がJUCOからの編入生で構成されていた点を取り沙汰された。その結果、追われるようにしてタークは砂漠のど真ん中にある小規模校UNLVに赴任した。

ハードウェイ8(1976-77): 初のファイナル4進出

主な実績
  • ファイナル4(1977)

1976-77、タークは超攻撃的なチームを作り上げた。当時、まだショットクロックもスリーポイントも無かったにも関わらず、リベルズは1試合平均得点107点を挙げた。主要メンバー8選手の情け容赦ないプレースタイル(=ハードウェイ)とラスベガスという土地柄からギャンブルでサイコロの4のぞろ目が揃うことを指すハードエイトから同シーズンのリベルズはハードウェイエイトと呼ばれた。


ハードウェイエイトはレギュラーシーズンを29勝3敗で終え、NCAAトーナメント本戦でも攻撃力を武器に西地区を制覇してファイナル4へと進出した。準決勝、対戦相手は強豪ノースカロライナ大学だった。前半、ハードウェイエイトは49-43とハイスコアゲームに持ち込んだが、後半に主力メンバーの負傷退場等があり、中々引き離せずにいた。


試合終盤、対戦相手のノースカロライナ大学がコートの4隅に選手を配置する秘策を講じた。UNCは、ハードウェイエイトのディフェンスプレッシャーをかわしつつ、なお且つ試合のペースをスローダウンさせることに成功し、見事な作戦勝ちを収めた。


残念ながら優勝こそ逃したUNLVだったがハードウェイエイトの躍進は地元民のプロップスを獲得した。当時、東海岸でアトランティックシティ(ニュージャージー州)が隆盛していたため、ラスベガスは勢いを失っていたのだが、UNLVはそんな落ち込む地元市民達に元気と希望を与えた。以来、UNLVとファンは固い絆で結ばれるようになった。

NCAA、ターク、世間(1977-86)

ターク vs NCAA

NCAAはタークの成功を良く思っていなかった。NCAAはLBSU時代に数々の規定違反があったとしてタークに2年間の出場停止を言い渡し、タークは「その制裁は不当だ」と裁判に持ち込んだ。その結果、ネバダ地裁は証拠不十分でNCAAの制裁は不当だと判決を下し、タークはコーチングを続けることが可能となった。しかし、NCAAはUNLVの前任者の規定違反を掘り返してラベルズに2年間のポストシーズントーナメント出場停止処分を言い渡した。

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ちなみに、規定違反はどこの大学も行っていた。そして、2年間のポストシーズントーナメント出場停止はかなり重い処分である。

インディペンデント校冷遇

1979年、NCAAはどこのカンファレンスにも属さないインディペンデント校を冷遇するようになった。1978-79、インディペンデント校は約70校あり、NCAAは8校をNCAAトーナメントに呼んでいた。しかし、1979-80、インディペンデント校は20校に減り、NCAAは2校しかNCAAトーナメントに招待しなかった。

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以降、インディペンデント校は減少の一途をたどった。現在、NCAA D1では各校は必ずどこかしらのカンファレンスに所属しなければならないルールになっている。

UNLVも毎年20勝以上を挙げながらもNCAAトーナメントに招待されなくなってしまった。故に、1982年、UNLVはパシフィック・コースト・アスレティック・アソシエーション(現ビッグ・ウェスト・カンファレンス)に加入することになった。

右腕グーグリッチの採用

1981年、タークはティム・グーグリッチ(Tim Grgurich)をアシスタントに採用した。このグーグリッチの登用がタークの運命を変えた。グーグリッチは”アモエバ”と呼ばれるディフェンスを発展させてピッツバーグ大学をエリート8に導いた。アモエバはスティールを積極に狙うギャンブル性の高いゾーンディフェンスなのだが、グーグリッチによってリスクを抑えての運用が可能となり、これによって課題だったディフェンスを改善しつつターク好みのハイスコアゲームを維持できた。しかも、グーグリッチは選手の育成にも長けていた。その結果、多くのNBA選手が育った。

ベガスらしい派手なチームへ

さらに、タークはラベルズをラスベガスらしいチームにプロデュースした。1982年、タークは大学に16000人収容のトーマス&マックセンターを建設させ、試合前の選手紹介では花火やレッドカーペットを用いた派手な演出を施した。その結果、アスレティックでハイペースなプレースタイルも相まって、ラベルズの試合は多くのセレブが訪れるベガスの名物となった。

遂にその時はやって来た(1986-87)

主な実績
  • ファイナル(1987)

タークが拾った選手達(1986-87)
アーメン・ギリアム(1984-87)JUCO→UNLV→1987年1巡目2位
ジェラルド・パディオ(1986-88)JUCO→JUCO→UNLV→NBA

PCAA加入以降、UNLVは再びNCAAトーナメントに招待されるようになった。が、今度はNCAAトーナメントで勝てない歯がゆいシーズンが続いた。1983年はシンデレラチームのNCステイト大学、1984年はパトリック・ユーイング率いるジョージタウン大学と2年連続で優勝校と当たる不運が続き下位ラウンドで敗退、その後数シーズンはシンプルにロスターがイマイチだった。


1986-87、遂にUNLVのターンがやってきた。タークが見つけ出した才能をグーグリッチが磨き上げたのだ。アーメン・ギリアム、ジェラルド・パディオ、そして1983年マクドナルド・オール-アメリカンのフレディー・バンクス率いるリベルズはNCAAトップの平均得点を挙げる破壊力抜群のチームと化し、33勝1敗、AP最終1位でNCAAトーナメントに進み、勢いそのままに1~3回戦を全て快勝、そしてアイオワ大学を制して10年ぶりにファイナル4に戻ってきた。


しかし、名将ボブ・ナイト率いるインディアナ大学にあと一歩及ばずターク悲願の優勝はお預けとなった。

正義 vs 悪(1989-90)

Larry Johnson – UNLV Highlights
主な実績
  • NCAAトーナメント優勝(1990)

タークが拾った選手達(1989-90)
ラリー・ジョンソン(1989-91)JUCO→UNLV→1巡目1位
デイブ・ライス(1989-91)JUCO→D1コーチ
ジョージ・アックルズ(1989-91)JUCO→UNLV→2巡目29位
グレッグ・アンソニー(1987-91)ポートランド大学→UNLV
エルモア・スペンサー(1990-92)ジョージア大学→JUCO→UNLV→1巡目25位

1989-90、その時は訪れた。オデッサカレッジからの編入生ラリー・ジョンソンを中心としたラベルズは圧倒的な強さ、派手なプレースタイル、オフコートでの振る舞いが、調度HIPHOPの隆盛とも重なり、全米中で人気を博した。


一方、NCAAからの風当たりがより一層強くなった。NCAAは頻繁にUNLVにスタッフを派遣しては些細な規定違反を見つけて当該選手を出場停止処分に追い込んでいた。違反は不必要な昼食等、規定違反ではあるが今までNCAAが黙認していたようなものばかりだった。その結果、毎試合、選手の誰かしらが何かしらの理由で出場停止処分を食らう事態になっていた。


しかし、レベルズは西地区第1シードでNCAAトーナメントに堂々と出場し、ハンク・ギャザーズとボー・キンブル率いるLMUとの打ち合いを制して遂に決勝の舞台に到達した。


決勝戦の相手はデューク大学だった。デューク大学は超優秀な金持ちが通うエリート校だ。しかも、主力選手はクリスチャン・レイトナーやボビー・ハーリーといった白人だった。故に、メディアはデューク大学を正義、UNLVを悪に見立てて世間を煽った。


しかし、蓋を開ければUNLVの快勝(103-73)、タークとUNLVは見事初優勝を果たした。

本当の敵(1990-91)

Duke 79 – U.N.L.V. 77 (1991)
主な実績
  • ファイナル4(1991)

1990-91、UNLVは前年度よりもより一層強かった。と言うのも、優勝メンバーのほとんどが残り、しかも上級生の方が有利とされているカレッジバスケでスターター5人の合計大学キャリアが23年だったからだ。案の定、UNLVは強かった。30勝0敗、しかも全て二桁差で勝利、APランクは最初から最後まで常に1位、2連覇に大きな期待が寄せられた


そして、難無く勝ち上がって迎えたファイナル4、対戦相手はリベンジと初優勝に燃えるデューク大学だった。


しかし、試合終盤、4年生PGのアンソニーがチャージングでファールアウトとなってしまった。アンソニーは昨季顔面を骨折しても試合を欠場しなかったタフガイで精神的支柱でもあった。対戦相手のコーチKも”ラッキーだった”と回想しているが、この退場が勝負の明暗を分けた。アンソニー無しの延長戦は分が悪いと踏んだUNLVは79-77で2点差を追いかけるラストポゼッションでスリーを狙わざるを得なかった。そして、運命のスリーはタフショットになり、2連覇の夢は儚く散った。


シーズン終了後、UNLVの選手3名がラスベガスの悪名高いギャンブラーと一緒にホットタブに浸かっている写真がリークされた。結果的にスポーツ賭博の事実は無く、タークも選手達に注意を促していたことから監督不行き届きでも無かったのだが、NCAAの圧力に負けたUNLVはタークと翌1991-92以降の契約を更新しないことを発表した。

ロン・クルーガー時代(2004-11): NCAAトーナメント常連校に

主な実績
  • スウィート16(2007)

2004年、ロン・クルーガー(Lon Kruger)がHCに就任した。クルーガーは、ターク時代を知っているファンからすれば物足りなさは否めなかっただろうが、UNLVをNCAAトーナメント常連校に戻した。


2006-07、ロンの息子ケビン・クルーガーがNCAA史上初のグラデュエートトランスファーとしてチームに加入した。

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グラデュエートトランスファーとは大学“院”に編入してきた選手だ。通常、選手は大学生活をスタートさせてから5年間で4シーズンしかプレーできず、他大学へ転校した場合、転校先で1年間レッドシャツ(公式戦に出場できない選手)として過ごさなければならない。つまり、選手が転校先で即座にプレーできないルールになっているのだ。

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しかし、大学卒業後、他大学の大学院に転校した場合、その選手はレッドシャツ無しに即プレーできる。例えば、大学を3年間で卒業、あるいは合計3シーズンしかプレーせずに大学を卒業した選手は1シーズン分プレーする資格があるので、そういった選手が大学院に進めば、残った資格分プレーできるのだ。

当時はグラデュエートトランスファーはほとんど知られていなかったため様々な議論を呼んだ。と言うのも、カレッジバスケは身体的にも精神的にも成熟している上級生が多い方が有利とされているからだ。


しかも、実際にUNLVはケビンの活躍で成績が飛躍的に向上した。2006-07、リベルズはカンファレンストーナメント決勝戦でBYUに勝ってAP最終19位でNCAAトーナメントに出場、1回戦でサディアス・ヤングとジャバリス・クリテントンのワン&ダンデュオを擁するジョージア工科大学を破り、2回戦では優勝候補のウィスコンシン大学をアップセットしてスウィート16に進出、最終成績は30勝7敗だった。


その結果、現在、GS選手はチーム強化のカギとなっている。

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ちなみに、ヒュー・ホグランド選手はグラデュエートトランスファーだ。ホグランド選手はポートランド大学を3年間(内レッドシャツ1年)で卒業し、2020年にカリフォルニア大学デイビス校の大学院に転校した。しかも、ホグランド選手はまだ2シーズン分のプレー資格を有している。

2007-08、UNLVは再びカンファレンストーナメントで強豪BYUに勝ってNCAAトーナメントに進み、徐々にUNLVの評価は向上、トップ100位以内のリクルートが来るようになり、その後もNCAAトーナメント出場権を立て続けに獲得した。


そして、2011年、この実績を評価されたクルーガーはオクラホマ大学にヘッドハンティングされた。

デイブ・ライス時代(2011-16): タークを凌ぐリクルートだったが…

主なリクルート
キーム・バーチ(2012-14)
アンソニー・ベネット(2012-13)
クリスチャン・ウッド(2013-15)
ラシャード・バーン(2014-15)
パトリック・マカウ(2014-16)
ドウェイン・モーガン(2014-17)
スティーブン・ジマーマン(2015-16)
デリック・ジョーンズJr(2015-16)

2011年、UNLVは卒業生で元コーチングスタッフのデイブ・ライス(Dave Rice)を呼び戻した。ライスは1989-91に選手としてNCAAトーナメント制覇を経験し、なお且つ大学を卒業した数少ないタークの教え子の1人だ。


ライスはリクルートこそ良かったがチームを勝たせることができなかった。ことリクルートに関して言えばそれこそ恩師タークをも凌いでいた。しかし、NCAAトーナメントに出場したのは前任者クルーガーが置いていった選手達がいた最初の2シーズンだけだった。ロスターは豪勢になる一方でチームの成績は下降していった。その結果、まだ5年目の途中にライスは解雇された。


思うにライスとタークの決定的な違いはスタッフの登用だ。タークは、選手だけでは無く、フラン・ウェブスター然り、ティム・グーグリッチ然り、コーチも手元に呼んだ。だから、タークはキャリア後期に勝つことができた。これがただ評価の高い選手達を集めたライスと本当に才能のある人物を呼んだタークは根本的には全く違うといっても過言では無い。

現地観戦

ホームアリーナ

基本情報

名称: Thomas & Mack Center
住所: 4505 S Maryland Pkwy, Las Vegas, NV 89154

ホームアリーナはキャンパス内にあるトーマス&マック・センター(Thomas & Mack Center)だ。同施設へはマカラン国際空港、ダウンタウン、ストリップエリアからローカルバスでアクセス可能だ。

チケット

同大はパワーカンファレンスに所属しているため、試合によってはチケットが売り切れる可能性もある。だから、チケットの購入は会場では無く、 TicketmasterStubHubVIVIDSETAS、公式サイト等で事前に購入するのがオススメだ。

カレッジギア

大学のグッズの購入はキャンパス内のブックストア(カレッジストア)がオススメだ。場所はグーグルマップで「大学名 bookstore」で検索すれば出てくる。


ブックストアは書店では無い。ブックストアはアパレルと日用品が売られている雑貨屋だ。と言うのも、アメリカの大学生は基本的に寮やキャンパス付近での生活を強いられるため彼らの生活に必要となるアイテムが置いてあるのである。


ちなみに、カレッジのアイテムはアリーナでも買える。が、品揃えは良くない。時間があれば是非ともキャンパス内or付近のブックストアに立ち寄ることを俄然オススメする。

まとめ

近年、UNLVは微妙だったが、TJ・オツエルバーガーは敏腕だ。今後は注目しても良いだろう。

合わせて行きたい: カリフォルニアエリア

カレッジフープスの記事

参考

T.J. OTZELBERGER(unlvrebels.com)
UNLV Players In The NBA(basketball.realgm.com)
Nevada-Las Vegas Rebels School History(sports-reference.com)
Stars from 1977 UNLV team remember their Final Four game against North Carolina(lasvegtassun.com)
Hard Eight(urbandictionary.com)
Former UNLV basketball coach Jerry Tarkanian, who led Long Beach State from 1969 to 1973, dies at 84(ocregister.com)
UNLV’s Jerry Tarkanian, Rebel with a cause vs. NCAA, has died(indystar.com)
Independent(sports-reference.com)
‘Humbled’ Tim Grgurich receives 2018 Tex Winter Assistant Coach Lifetime Impact Award(nba.com)
Scandal hooks Rollie at Nevada-Las Vegas(web.archive.org)

ダイハードオタク話(有料)

管理人

俺達B.O.Brosはアメリカかぶれの”bro”2人だ。両者共にアメリカの大学に留学経験(1人は現在留学5年目)がある。元々はバスケ好きが高じて渡米したのだが、今ではバスケを通り越してアメリカ的価値観や文化そのものの虜になり、固まった休みが取れ次第、試合観戦がてらアメリカ各地を巡っている。トレンドの話はTwitter、俺達自身についてはInstagram、ブログのコンセプト外の話はnoteで発信しているので、興味があれば、そちらもチェックしてもらえれば、と思う。

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