概要
- バスケットボールシューズ黎明期(1910~30年代)
- コンバース一強時代(1940~70年代前半)
- HIPHOP誕生&スニーカーブーム到来(1970年代後半)
コンバース王朝継続
独アディダス襲来 - エアジョーダン革命(1985年)
- バスケットボールシューズ大戦(1985~2000年代前半)
ナイキ新王朝
コンバース没落
第三勢力隆盛(リーボック/AND1/LAギア)
有象無象のシグニチャーシューズブーム - 三国志(2000年代後半~2010年代前半)
ナイキの王座防衛
アディダスの挑戦
中国勢の台頭 - ナイキ一強時代(2010年代後半~)
- フロンティア: 女性アスリートシグニチャー(現在~)
バスケットボールシューズは1900年代に現スポルディング社によって製造された。その後、コンバースが不朽の名作「キャンバスオールスター」を開発し、チャック・テイラーの布教活動やカレッジバスケイヤーブックの広告効果もあってか、瞬く間に市場を独占し、50年以上も王者に君臨し続けた。そんな中、1970年代後半、第1次スニーカーブームがヒップホップの誕生に伴ってニューヨークで巻き起こり、複数のシューズメーカーが見いだされ、本格的な企業間競争が始まった。そして、1985年、「エアジョーダン」が爆誕し、有象無象の企業がネクストエアジョーダンの夢を抱いてスニーカー製造に挑戦し、スニーカー戦争が勃発した。一方、新王者ナイキは常に「機能」「デザイン」「マーケティング」で他を圧倒して1990年代以降から玉座を保持し続けている。
ゴムメーカーの新事業時代: 運動靴の誕生
スポルディング
1900年代、初のバスケットボールシューズは現スポルディング社によって生み出された。
同社は1894年からジェームス・ネイスミス博士の依頼でバスケットボールを製造していた。一応、バスケットボールの誕生日は初の試合開催日の1891年12月21日となっている。最初のルールではサッカーボールの使用が記されていた。その後、当時のボールのルールは「公式ボールはAGスポルディング&ブロズ社製ボールとする」に改定された。
ケッズ(USラバーカンパニー)
1916年、USラバーカンパニー(コネチカット州)は自社の靴部門を統合して子会社「ケッズ」を設立した。そして、1917年、世界初の流通品の運動靴(キャンバス生地+ラバー底)が誕生した。謳い文句は「ラバー底が忍び足を可能にする」だった。そのため、同製品は正式名「the Champion」ではなく、スニーク(sneak)の「こそこそ歩く」の意から、俗称「スニーカーズ」として世間に広まった。
「the Champion」はサッカーやテニス等の様々な競技者に使用された。
コンバース
1908年、コンバースはマサチューセッツ州のラバーシューズメーカーとして始まった。一方、同州発祥のバスケットボールはプレー人口を増加させていた。そのため、競技専用シューズのニーズがじわじわと生まれていた。そして、1917年、「キャンバスオールスター(ハイカット)」が産声を上げた。
コンバース王朝(1920~60年代)
- バスケットボールシューズ市場の誕生
コンバース: 黄金期
- 1917年: キャンバスオールスター(ハイカット)
- 1921年: チャック・テイラーとコンバースのタッグ開始
- 1922年: イヤーブック発売開始
- 1932年: 製品改良+チャック・テイラーの名前追加
- 1936~68年: 五輪公式シューズ
- 1957年: ローカット
- 1969年: スター&バーズ(ジャックスター)
「キャンバスオールスター(ハイカット)」は瞬く間にバスケットボールシューズの代名詞となった。1921年、セミプロ選手のチャック・テイラーはシカゴのコンバースの営業部門を訪ね、足首のパッチ等の製品の改良案をプレゼンし、バスケットボールのアンバサダーとして米国中で数多のキャンプを実施した。一方、1922年発行開始の大学&高校バスケのイヤーブックも好評だった。その後、1923年、改良版が「チャック・テイラー」の改称と共に発売された。以降、後継品も軒並み好評を得た。その結果、1960年代、ニッチ市場のシェアは一部の報告では8割以上にのぼった。
ケッズ-プロケッズ: 業界2番手
シューズ |
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ザ・ロイヤル・ロー(1949) 着用者: ジョージ・マイカン(1950年代) |
ロイヤル・アメリカ・ハイ |
69er |
1949年、ケッズは運動靴部門のプロケッズを設立し、キャンバスシューズのザ・ロイヤル・ローやザ・ロイヤル・ハイを展開し、1950年代には元祖支配的ビッグマンのジョージ・マイカンを広告に起用した。
PFフライヤーズ(PF Flayers)
PFフライヤーズは1950年代にボブ・クージーを広告に起用した。
ベータ×ウィルソン(ジョン・ウッデン)
ウィルソンは1960~70年代にバタ(Bata)と手を組み、UCLA大王朝時のHCジョン・ウッデンを迎え、「Bata×Wilson John Wooden」を製作した。
グッドイヤー
前NBA時代、プロリーグ/興行団体乱立時代、最高峰のリーグがNBL(National Basketball League)だった。同リーグは1937年に五大湖周辺の企業チームで発足された。そして、タイヤメーカーのアクロン・グッドイヤー・ウィングフッツ(Akron Goodyear Wingfoots)は本業の自社製ゴムソール付き特製シューズで選手のパフォーマンス向上に成功して好成績を残していた。
NBLは1949年にBAA(Basketball Association of America)と統合してNBAとなった。一方、グッドイヤー・ウィングフッツはアマチュアの道を選び、1964年の東京五輪に3名、1968年のメキシコ五輪に1名を代表選手として送り込んだ。最も有名な選手はラリー・ブラウンだ。その後、アマチュアバスケはプロバスケットボールの人気上昇に反比例して下火となった。五輪代表も大学生で賄われた。そして、企業チーム、興行団体、セミプロチームは淘汰された。
スニーカーブーム到来(1970~1980年代前半)
- バスケットボールシューズの原型の完成
ハイカット: 足首部分の補強
ソール: - スニーカーブーム
ヒップホップの誕生
Bボーイのバスケットボールシューズ着用
Run DMCのアディダス愛
PUMAクライドの誕生
アディダス: 独企業襲来!!
不朽の名作スーパースター(1969年)
独企業アディダスは1969年に不朽の名作ス―パスターをリリースした。当初、同社はアメリカのましてやバスケットボールシューズ市場を重視していなかった。そんな中、グリップと耐久性はプロ選手や大学生を虜にした。その後、瞬く間に愛用者は増加していった。
スニーカーブーム到来!!
HIPHOP誕生→スニーカーブーム@NYC
1970年代後半、第一次スニーカーブームが巻き起こった。当時、ヒップホップがNYCで産声を上げた。若者達はブレイキングダンスシューズにバスケットボールシューズを選んだ。そして、最も人気の製品がスーパースターだった。
革命1: スニーカーの可能性の提示
その後、スニーカーは自己表現の手段と化していった。Run DMCは自らのステージ衣装として「スーパースター」を靴紐無しで着用した。靴紐無しは刑務所の「囚人の走行&武器的利用不可」の仕様に由来している。スニーカーの履き方が着用者のバックグラウンドやライフスタイルを語っていた。つまり、バスケットボールシューズはスポーツ用具からファッションアイテムへと昇華した。
革新2: 初のアーティスト×シューズメーカー契約
その後、楽曲「My Adidas」が大ヒットを記録した。同曲は今日のラッパーの「自分の好きな物について歌う」の先駆けである。当初、アディダスは外国での不測の形での人気上昇に懸念を抱いていた。そんな中、重役達はマディソン・スクエア・ガーデンのライブで1万人の観客の自社製品の着用に心を打たれた。その結果、世界初のアスリート以外とシューズメーカーのエンドースメント契約が締結された。
良作連発
ADIDAS JABBAR(1971): カリーム・アブドゥル-ジャバ― |
Adidas Americana(1971) |
トップ10(1979): エンドーサー10名に由来 リック・バリー/ダグ・コリンズ/マーケス・ジョンソン/カーミット・ワシントン/エイドリアン・ダントリー/ボブ・レイニア/ボビー・ジョーンズ/ビリー・ナイト/シドニー・ウィックス/ミッチ・カプチャック/ケビン・グレビイ |
Concord(1983) |
Forum(1984) |
アディダスはスーパースターの反響を受けてバスケットボールシューズへの注力を始めた。そして、同社は数々の高性能シューズを世に出した。
近年、往年の名作はライフスタイルシューズとして度々再販されている。
コンバース: 王座防衛
スター&バーズ/ジャックスター(1969) |
ワンスター(1974) |
プロレザー(1976) 着用者: ジュリアス・アービング/ラリー・バード/マジック・ジョンソン等 |
Fast Break(1983) 着用者: アイザイア・トーマス(1981-89)等 |
Startech(1984) 着用者: LA五輪代表 |
1970年代、初の王座防衛戦が始まった。当時、既に「チャックテイラー」はバスケットボールの競技力の劇的向上についていけてなかった。そのため、新製品の開発は急務だった。そして、傑作「ワンスター」と「プロレザー」が誕生した。その結果、コンバースは見事に選手の信頼を維持し、数多のNBA/ABAスーパースターをエンドーサーに抱え、複数の強豪大学をスポンサードし、絶頂期を迎えた。
マイケル・ジョーダンもノースカロライン大学とNBAデビュー直前の五輪代表時にコンバースを履いていた。
プーマ
シグニチャーシューズの金字塔樹立
1973年、プーマはウォルト・”クライド”・フレイジャーへの丸投げによってスタートダッシュに成功した。同選手は「ニューヨーク・ニックスのフロアリーダー(NBA制覇×2)」&「ファッションリーダー」でカリスマ的存在だった。一方、同社はバスケットボールシューズに手探り状態だった。そのため、第一作はアンバサダーの注文通りに開発された。そして、「PUMA CLYDE」は瞬く間に若者達の心を掴んで大成功を収めた。
ビギナーズラッグ後の苦闘
- ボビー・ジョーンズ(1979-80)
- タイニー・アーチボルド(1981-82)
一方、その後は苦闘が続いた。大きな理由の1つが「クライド」の耐久性だ。ジョージ・マッギニスは常にコンバースを予備に用意して試合に臨んでいた。その結果、多くのエンドースメント契約が短期間に終わった。
ネクストスターの獲得
そんな中、1983-84、プーマは1983年NBAドラフト1位指名のラルフ・サンプソンの獲得に成功した。同選手はプロケッズのバスケットボールシューズ製造休止でスニーカーフリーエージェントとなっていた。そして、同社は最強のエンドーサーの入手を機にバスケットボールシューズへの注力を再開した。
ポニー(PONY)
- Starter Hi/Lo (1975)
- PONY MCADOO(1975)
-ボブ・マカドゥ - Havlicek Pro-Model
-ジョン・ハブリチェック - David Thompson Pro-Model
-デビッド・トンプソン - Slam Dunk Hi(1982)
- #1(1982)
- Pro 80(1983)
- Pro 90(1983)
- その他
マイケル・トンプソン/アレックス・イングリッシュ/ダリル・ドウキンス等
ポニーは1972年にスニーカーブームに乗じて創業された。その後、同社は急ピッチで優良選手のエンドースメント契約を取り付けて新作シューズ量産で知名度を上げた。
ナイキ: 眠れる獅子
バスケットボールシューズ開発
ブルーイン(1972)
陸上競技シューズ軸のナイキはバスケットボールシューズへの参入に遅れた。当然、第1作「ブルーイン」は見向きもされなかった。
ブレイザー(1973)
第3作「ブレイザー」は若き日のABA時代のジョージ・ガービンの着用で知られている。同選手は愛称「アイスマン」の文字入りのプレーヤーエクスクルーシブ版を着用していた。ロイド・フリー(ワールド・フリー)もエンドサーだ。両者は1978-79&1979-80に得点王争いを繰り広げている。一方、当時のエースエンドサーはNBAオールスターのジェフ・ペトリだった。
エアフォース1(1982-84)
エアフォース1(ハイカット)は渾身の力作だ。同製品は「初の”エアテクノロジー”搭載のバスケットボールシューズ」「足首ベルト」「靴紐」の機能性を初のNBAエンドーサー起用TV広告で大々的に売り出された。広告塔の6名(モーゼス・マローン/ジャマール・ウィルクス/ボビー・ジョーンズ/ケルビン・ナット/マイケル・クーパー/マイケル・トンプソン)はオリジナルシックスと呼ばれている。そして、ナイキはバスケットボールシューズ界内の地位向上を果たした。
現在の標準のローカット版は然程ウケなかった。以降、再販も東海岸都市部の低価格帯品扱いに留まっていた。しかも、白一色はスウォッシュの目立たなさから不人気でより安かった。そのため、持ち主は都市部の貧困層に落ち着いた。当然、ドラッグディーラーやギャングもいた。その結果、同作は幸か不幸か東海岸のストリートアイコンとなった。そして、現在の「トリプルホワイト(ホワイトオンホワイト)=基準」の価値観が完成した。
エアシップ(1984)
エアシップはエアジョーダンの試作機と禁止カラーで知られている。1984-85、当時、シューズカラーはユニフォームカラーに準じなければならなかった。黒×赤の着用はシカゴ・ブルズの白×赤に反していた。規則違反は罰金の対象である。一方、広告効果は罰金以上だった。そのため、ナイキはマイケル・ジョーダンの着用の度に罰金を広告費として払い続けた。一方、実際はエアテクノロジー搭載のバスケットボールシューズ第2号として売り出されていた。そのため、ロン・ハーパー、ノーム・ニクソン、ラリー・ナンス等も着用者名簿に載っている。そして、一般流通は少なかった。当時、売上はスポーツ用品店の中学や高校のチーム単位購入によって担保されていた。そんな中、同製品は中高生に不評だった。その結果、相当数はナイキスポンサードのカレッジチームやエンドサー達への配布に終わった。
ダンク(1984)
ダンクは1984年末に強豪大学のスクールカラー8色展開で大々的に売り出された。一方、ブームは翌1985年3月のカレッジバスケットボールシーズンの終了に伴って終息してしまった。しかも、エアジョーダン降臨が重なった。その結果、同製品は発売の半年後にセール棚の常連と化してしまった。
その後、破格の「ダンク」はスケーター達に買われていった。フラットソールとグリップ力がスケートボードに向いていたのだ。その後、2001年、ナイキは3度目のスケートボード挑戦時に過去の総ざらいから「ダンク」のスケボー用改良版の製造を決め、2002年に「NIKE DUNK LOW PRO SB(別名NIKE SB DUNK)」を開発し、プロボーダー、ブランド、セレクトショップとコラボ展開によってスニーカー争奪戦を巻き起こしながら、傑作へと登り詰めた。
ナイキ・プロ・クラブ
ナイキ・プロ・クラブは初期のエンドーサーチームだ。1970年代、ナイキのエンドーサーは若手選手達だった。そして、同社はオフシーズンにエンドーサー達を連れて世界中でプロモーション活動を行った。その後、努力は実を結び始めた。キックバックも「$12,000程度(1970年代)→$50,000(1982年)」にまで膨れ上がった。そんな中、1984年、マイケル・ジョーダンの入札が始まった。その結果、多くのエンドースメント契約が資金調達のために解消となった。
スペンサー・ヘイウッドはナイキのエンドースメント契約の際に「『$10万』or 『会社の10%分の株』のどちらが欲しいか?」との問いに対して代理人のアドバイスに従って$10万を選択した。その後、ナイキは急成長を遂げた。株の場合、数十億ドルが懐に入っていた。
ケッズ: 最先端のお洒落
最先端のお洒落
- ロイヤル・プラス(1970年代)
- ピート・マリャビッチ(1970年代)
-シューズボックスの写真/Tシャツ等
1970年代、プロケッズはオンコートとオフコートの両方で人気を勝ち得ていた。当時の広告(1971年)には「カリーム・アブドゥル・ジャバー」「ジョジョ・ホワイト」「ルー・ハドソン」「タイニー・アーチボルド」「ボブ・ラブ」が起用されている。そして、エースエンドーサーはピート・マリャビッチが務めていた。
予期せぬ評価
1970年代まで米国では女性の運動は一般的ではなかった。タイトルⅨ(大学運動競技部の男女平等規定)も1973年にようやく制定された。1968年、米国ではメキシコ五輪の影響でランニングブームが巻き起こった。そして、庶民の軽負荷の運動習慣が生まれた。その後、VHSが登場し、有象無象の運動や体操のビデオテープが大量生産され、フィットネスブームが巻き起こった。そして、多くの女性が運動シューズにケッズを選んだ。
オーナー会社変更→バッシュ撤退
- ジェラルド・ヘンダーソン(1980?-83)
-Shotmaker(1980?) - ラルフ・サンプソン(1983)
1979年、ケッズはユニロイヤル社(元USラバーカンパニー)からストライド・ライト・コーポレーション(Stride Rite Corporation)に売却された。そして、1983年、同社は全体1位指名のラルフ・サンプソンをエンドーサーに迎え入れたにも関わらずバスケットボールシューズの製造を打ち切った。1983-84、もう1人のエンドーサーのジェラルド・ヘンダーソンは「ショットメイカー」を着用してボストン・セルティックのNBA優勝に貢献した。
ストライド・ライト・コーポレーションは子ども用品メーカーだ。ケッズ買収の理由は女性層の吸収に違いない。狙いは母+子の二重取りだ。つまり、同社は最初から男性向けのバスケットボールシューズラインは削るつもりだった。
その他
キニーシューズ(Kinney NBA’s)
1970~80年代、NBAは大手フットウェアチェーンのキニーシューズと手を組んで公式アスレティックシューズを発売していた。デザインは「四本線」「スウォッシュの逆さ版」「V字」と酷い有様だ。売行きは察しの通りである。その後、同社は1998年にフットロッカーを残して倒産した。
トム・マッキャン(NBPA Basketball Shoes)
1975年頃、全米バスケットボール選手協会(NBPA)は大手フットウェアチェーン/ブランドのトム・マッキャンと共同でバスケットボールシューズを製作した。同シューズは「ジョン・ハブリチェック」「エルビン・ヘイズ」「ボブ・マカドゥ」「ゲイル・グッドリッチ」「アール・モンロー」「リック・バリー」等の助言を基に設計された。同社は1988年にフットアクションに買収された。現在はブランドネームのみが残っている。
グロスビー(Grosby)
1983年、豪グロスビーはビリー・レイ・ベイツのシグニチャーシューズを製作した。当時、同選手は素行不良によってNBAから追放されてフィリピンに活躍の場を移していた。現在も「Black Superman」はフィリピンで度々再販されている。
バスケットボールシューズ戦国時代(1985~2000年代前半)
- ナイキ: 新王朝樹立
- コンバース: 王座陥落
- リーボック: 瞬間的ブーム
ナイキ: ゲームチェンジャー
エアジョーダンの登場(1985年)
ゲームチェンジャー(1985)
1984年、ナイキはマイケル・ジョーダンに超破格の$500,000/年×5年を提示して契約を結んだ。そして、翌1985年3月、初シグニチャーシューズのエアジョーダンは空前の大ヒットを飛ばした。
シグニチャーシューズのシリーズ化
その後、1987年、エアジョーダン2が製造された。当時、シグニチャーシューズのシリーズ化の発想は存在しなかった。実際、所謂「ジョーダン1」はエアジョーダンと名付けられている。数字の”1″は表記されていない。一方、マイケル・ジョーダンは不満を募らせていた。そのため、1987-88、ロウカット版が着用されていた。また、1988年1月30日の足元はエア・アルファ・フォースだった。その結果、生みの親のブルース・キルゴア(Bruce Kilgore)とピーター・ムーア―(Peter Moore)はエアジョーダンのデザイナーから降ろされた。
Spike×Mike×Nike体制
そして、1988年2月、エアジョーダン3が早くも登場した。デザイナーはティンカー・ハットフィールド(Tinker Hatfield)だ。また、広告は映画監督&俳優のスパイク・リーの手を借りた。同氏は黒人の社会派映画で有色人種移民やリベラル層の支持を得ていた。そして、エアジョーダンシリーズはスーパーチーム体制で王朝を築いていった。
ジョーダンブランド独立(1997)
- チームジョーダン1期生
エディ・ジョーンズ
-Quick 6(1998)/Pro Quick/Swift 6
ビン・ベイカー
-Pro Strong(1998)*/VINdicate
レイ・アレン
マイケル・フィンリー
デレク・アンダーソン - シューズ
Pro(1997)/Pro 2/Team 1(1997?)/Jumpman All Star(1999)等
1997年、ジョーダンブランドはナイキから半独立した。ロゴもスウォッシュの代わりにジャンプマンが付与された。そして、最初のエンドーサー達は「チームジョーダン」として非エアジョーダンの宣伝を任された。その後、エディ・ジョーンズとビン・ベイカーはシグニチャーシューズの発売に至っている。通称”チームジョーダン”シューズはエアジョーダンシリーズの試作機の名残を持っている。パフォーマス面の評価が高い。
高機能シューズの開発成功
1995年、ナイキは独自のクッショニングシステムの開発に成功した。通称「ナイキズーム」はミッドソール内の高い空気圧+タイトな繊維のパックだ。バネの様な動きが接地時の身体への衝撃軽減と地面反力の受容を行っている。そのため、激しい動作時の故障の危険性が低減された。
独壇場: 傑作×スーパースター(1990年代)
エンドーサー | 契約期間 | シグニチャーシューズ |
---|---|---|
ゲイリ・ペイトン | 1990-2007 | NIKE GP1~4 Nike Air Flight Turbulence* Nike Zoom Hawk Flight* Nike Zoom Flight 98 “The Glove”* Nike Zoom Ultraflight* |
スコティ・ピペン | 1991-2001 | NIKE More Uptempo* NIKE Air Pippen 1~6 |
ペニー・ハーダウェイ | 1993- | Nike Air Penny 1~6 Nike Air Up* Nike Air Flight 1* Nike Air Foamposite 1* Nike Air Zoom Rookie** Nike Air Half Cent** Nike Lil Penny Posite** |
ジェイソン・キッド | 1995-2004/2012-13 | Nike Air Zoom Flight 95* Nike Air Zoom Flight Five(1997) Nike Air Kidd(2001) |
スティーブ・ナッシュ | 1996- | NIKE Air Flight ‘00(2000)* Nike Air Jet Flight(2001)* Nike Zoom MVP X(2009)* |
ビンス・カーター | 2000- | Nike Shox BB4(2000)* Nike Shox VC 2(2002) Nike Shox VC 3(2003) Nike Shox VC 4(2004) |
ゲイリー・ペイトン
ゲイリー・ペイトンはルーキー時からガード向け作品のアピールに貢献した。本人の「スニーカーヘッズ」発言の通り、当初からPEの着用が多かった。そのため、いくつかの着用品は実質的シグニチャーの扱いを受けている。その後、実際のシグニチャーラインはキャリアの成熟期に発売された。そして、同選手はシグニチャーライン終了後は主にエアジョーダンシリーズを着用していた。
スコッティ・ピペン
スコッティ・ピペンは1991年にマイケル・ジョーダンへのリスペクトからアヴィアからナイキに移籍してきた。同選手は長らく一般流通品を着用してエンドーサーの役割を全うした。特に1996年のアトランタ五輪時の「モアアップテンポ(米国代表カラー版)」は作品自体のインパクトと相まって大きな話題を呼んだ。そして、その結果、1997年にシグニチャーシューズがようやく始まった。
ペニー・ハーダウェイ
ペニー・ハーダウェイはベストエンドーサーの1人だ。新作シグニチャーシューズや実質的シグニチャーのリミックス/ハイブリット作品が引退後も発売されている。
ジェイソン・キッド
ジェイソン・キッドはシグニチャーシューズ的には”一発屋”だ。同選手は「フライト5」と「フライト95」のアイコン的作品を持ちながらキャリアの大半を一般流通品で過ごした。
スティーブ・ナッシュ
シグニチャーシューズは無い。一方、いくつかの製品はスティーブ・ナッシュの着用で知られている。特に「フライトジェット」はダラス・マーベリックス時代に複数年に渡って愛用されていた。同製品は2000年前後の傑作とも評され、ダーク・ノビツキー、バロン・デイビス、ジェイソン・ウィリアムス等にも履かれていた。
一説によれば、「フライト00」はケビン・ガーネットのシグニチャーを予定されていた。
ビンス・カーター
ビンス・カーターはシグニチャーライン獲得の最短記録保持者だ。ショックス自体は1990年代後半に長年の試行錯誤で完成していた。一方、マーケティングは中々決まらなかった。そんな中、希代のダンカーがエンドースメントFAになっていた。そして、2000年9月、同選手はナイキの契約の1か月後にシドニー五輪で新技術ショックス搭載の「ショックスBB4」で伝説の7フッター越えダンクをかました。
本人曰く、当初のショックスの広告塔の候補はケビン・ガーネットだったそうだ。
ジョン・ストックトン
ジョン・ストックトンはテニスシューズの「Nike Air Zoom Challenge」を着用していた。
1990年代、一般流通品すら機能性とデザイン性のいずれか/両方に優れていた。エンドサー達の活躍も抜群の宣伝効果をもたらした。そのため、高パフォーマンス品は競技者にウケた。また、高デザイン品はライフスタイルシューズとして広く買われていった。
フロンティア開拓挑戦
エンドーサー | 契約期間 | シグニチャーシューズ |
---|---|---|
Sheryl Swoopes | 1995‐? | Nike Air Swoopes 1-7(1995‐2002) |
Dawn Staley | 1995?- | Nike Zoom S5(1999) |
Lisa Leslie | 1996?- | Nike Total Air 9(1998) |
CYNTHIA COOPER | 1997?- | Nike Air Max Shake ’Em Up(1998)* Nike Air C14(1999) |
CHAMIQUE HOLDSCLAW | 1999- | Nike Shox BB4 Mique(2001)* NIKE Shox Mique(2002) |
DIANA TAURASI | Nike Air Taurasi(2005) Shox DT(2006) |
1990年代半ば、ナイキは女性アスリートのシグニチャーシューズの開拓に着手した。そして、シェリル・スウープスのシグニチャーシューズラインが始まった。その後、1996年、女子バスケリーグのWNBAとABLが始まった。後者は1996-97~1998-99途中と非常に短命だった。第2号ダン・ステイリーは1996-97~1997-98にリッチモンド・レイジとフィラデルフィア・レイジでプレーしていた。以降、同社は女子バスケ界のスター選手のシグニチャーシューズやPEを矢継ぎ早に製造した。一方、売れ行きは芳しくなかった。NIKE Zoom S5は後年に女性アスリートシグニチャーのベストと評されながら製造数の少なさからカタログでしか見られない。そして、2000年代、新作製造は数年間の空白期間の後に完全にストップしてしまった。
ビッグマン不人気問題
エンドーサー | 契約期間 | シグニチャーシューズ |
---|---|---|
チャールズ・バークリー | NIKE AIR MAX 2 CB94 | |
デニス・ロドマン | NIKE AIR SHAKE NDESTRUKT | |
デビッド・ロビンソン | 1989-2003 | Air Force STS(1989)* Nike Air Force V(1990)* Nike Air Command Force(1990?)* Nike Air Ballistic High(1992)* |
アロンゾ・モーニング | 1992- | NIKE AIR ALONZO(1997) |
クリス・ウェバー | 1993- | AIR MAX CW(1995) |
ケビン・ガーネット | 1995-2001 | NIKE AIR GARNETT 1(1999) NIKE Air Flightposite 1(1999)* NIKE Air Garnett 3(1999) NIKE Air Flightposite 2(2000)* |
ティム・ダンカン | 1997-2003 | Air Max Duncan NIKE Air Flightposite 1(1999)* |
バスケットボールシューズ大戦はビッグマンのシューズの不人気を浮き彫りにした。ビッグマンシューズは足首部分の補強によって見た目的にも重量的にも太ってしまう。以降、ナイキは頑なにビッグマンのシグニチャーシューズに首を縦に振っていない。一方、いくつかの興味深い事例もある。提督デビッド・ロビンソンは自身の名前のシューズの代わりに軍事用語ネームシューズのメインエンドーサーを務めた。そして、ケビン・ガーネットはオールラウンドなスタイルによって中途半端な結果をもたらした。シグニチャーシューズの売上はガードとビッグの間だった。
当時のビッグマンシューズはライフスタイルシューズとして後年に再評価されている。短所のデカさが長所の派手さに変わったからだ。実際、いくつかの製品は再販されている。「フライトポジット」は、広告塔のケビン・ガーネットとティム・ダンカンに関係無く、デザイン性で発売時から高い評価を受けている。
スニーカー大戦終結(2003)
2003年、ナイキはコンバースを買収した。
コンバース
シューズ&着用者 |
---|
CONS(1986): バッド・ボーイズ・ピストンズ等 |
ウェポン(1986): NBAオールスター |
アクセラレーター(1992): マジック・ジョンソン |
プロスター(1992): ラリー・バード |
エアロジャム: ラリー・ジョンソン |
ランスラム: ケビン・ジョンソン |
当初、コンバースは数多のNBAスーパースター起用の徹底抗戦の構えを見せていた。一方、1990年代、シェアは7%にまで下落した。最大の理由は小売店の棚枠だ。当時、販路はほぼ店舗だけである。一応、通信販売も存在した。言わずもがな、店舗の商品展示数は限られている。1980年代、棚争いのライバル数は前スニーカーブーム時代の数社から10社以上に膨れ上がった。そのため、コンバースの商品展示数も必然的に減少の一途を辿った。商品は棚に並ばなければ売れない。その後、1990年代後半、新作シグニチャーシューズ製造の余力すらもそぎ落とされてしまった。そして、2003年9月、同社はナイキの買収を受け入れた。
プーマ: 開発力不足
最盛期: 製品改良成功&エンドーサー増強
- ラルフ・サンプソン(1984-88)
- ウェス・マフューズSr(1984-86)
- アレックス・イングリッシュ(1983-1987)
- テリー・カミングス(1984?-89)
- マニュート・ボル(1985)
- AC・グリーン(1985-86?)
- ポール・プレッシー(1985-86?)
- バック・ウィリアムス(1985-86?)
1980年代半ば、プーマは遂に製品の改良に成功した。一部の評価では「Sky LX(1986)」は同時期発売のエアジョーダンよりもパフォーマンス性で優れていた。1984-85、ラルフ・サンプソン、アレックス・イングリッシュ、テリー・カミングスがオールスターに出場している。
期待外れの結果
- テリー・カミングス(1984?-89)
- アイザイア・トーマス(1989-90)
-Palace Guard - セドリック・セバロス(1992-94)
しかし、1985年第四期のシャアは僅か5%程に終わった。そのため、NBAエンドーサーの契約は解消された。最後の望みのアイザイア・トーマスも僅か1年に終わっている。その後、セドリック・セバロスの精力的な「Puma Disc System Weapon」のプロモーションも悪あがきにすらならなかった。そして、1993年、プーマは借金$250万と在庫1.5万足と共に破綻寸前まで追い込まれた。
完全撤退
- ケニー・アンダーソン
- チャッキー・アトキンス
- サム・パーキンス
- ジョン・ウォーレス
1998年、プーマはビンス・カーターと10年契約を結んでNBA復帰を果たした。そして、1999-2000、「プーマ・ビンサニティ・ミッド」も完成した。一方、パフォーマンスレベルは低かった。しかも、上層部は製品の改良に消極的だった。理由はカジュアルブランドの志向性だ。パフォーマスは二の次だった。その結果、両者は僅か1年半で袂を分かった。その後、2000-01、バスケットボールシューズ製造は打ち切られた。
2000年、ビンス・カーターは”スニーカーフリーエージェント”としてダンクコンテストに出場し、当時流行りのAND1のタイチミッドを着用し、妙技を披露した。当然、同製品は大ヒットを記録した。その後、同選手はナイキと契約した。
リーボック: スニーカー市場2位→アディダス身売り
スタートダッシュ成功
- BB 5600
ダニー・エインジ/デニス・ジョンソン - リーボックパンプ(1989)
ディー・ブラウン
ドミニク・ウィルキンス
デニス・ロドマン
1980年代、英国企業リーボックは「マサチューセッツ州への本社移転(1984)」→「エイビア買収(1987)」でバスケ市場上陸に成功した。その後、傑作「リーボックパンプ(1989)」が誕生した。同製品はボタン操作の空気圧追加で締め付け具合の調整が可能だった。そして、同社は英国紳士らしく「Pump up and Air Out」のダブルミーニングコピーでナイキに宣戦布告を行った。
映画「ブルーチップス」にてペニー・ハーダウェイも「リーボックパンプ」を履いている。
ナイキ越え(1990年代)
エンドサー | 契約期間 | シグニチャーシューズ |
---|---|---|
シャキール・オニール | 1992-98 | シャックアタック |
アレン・アイバーソン | 1996-2014 | クエスチョン(1997) アンサー1~14+Q16 |
ショーン・ケンプ | カミカゼ | |
グレン・ロビンソン | リーボックレール | |
クライド・ドレクスラー | 1996- |
抜群のセンス
- アーティストシグニチャー制作
Jay-Z/S. Carter(2002)
G-Unit(2003)
リーボックは「フューリー(1995)」を筆頭に斬新性と恰好良さの兼備でスポーツのみならずファッション界をも牽引し始めた。その結果、同社はNBAのビッグネーム達との契約にも成功し、一時的にはナイキの売上を超え、スニーカー市場2位に浮上した。
徹底抗戦の姿勢
You couldn’t tell me Reebok wasn’t killin the game at this time pic.twitter.com/CgwiJyyFr8
— Jasmine (@JasmineLWatkins) September 1, 2021
女性アスリートのシグニチャーシューズ
1995年、リーボックはナイキの女性バスケ市場開拓を受けて次世代のスター候補レベッカ・ロボと契約した。同選手は直近のコネチカット大学全勝優勝時のエース&翌1996年の五輪代表メンバー候補だった。そして、1997年、「リーボックロボ」がWNBA開幕戦にてデビューを果たした。
ストリートボール風広告
2003年、リーボックは後述のAND1由来のストリートボールブームを受けてJay-Z×NBAエンドーサー(スティーブ・フランシス/ケニョン・マーティン/バロン・デイビス/ジェイレン・ローズ)の広告を打ち出した。
目指すは天下統一(2000年代)
- 姚明
- 公式サプライヤー契約獲得
NFLサプライヤー(2002)
NBA&WNBAサプライーヤー(2004)
MLBシューズ
2000年代、リーボックは天下奪取の動きに出た。主な動きは「北米四大リーグのサプライヤー」と「姚明」だ。
アディダス来襲(2005年)
2005年、リーボックはアディダスに買収された。
NBAのオフィシャルサプライヤーは2006-07からアディダスに上書きされた。
アディダス: 静観→打倒ナイキ
出遅れ
- シグニチャーシューズ
パトリック・ユーイング(1986-89)
-Attitude
-Conductor(1987)
-Rivarly - シューズ
adidas Centennial(1985) - エンドーサー
ジョー・デュマース/ジョン・スタークス
独企業アディダスは米国スニーカー市場の見通しの甘さからシグニチャーシューズ競争で出遅れた。最大のやらかしは「アディダスファンのマイケル・ジョーダンの競売不参加」と「パトリック・ユーイングの独自ブランド設立要求拒否」だろう。その後、両者はそれぞれの方法で大成功を収めた。そんな中、同社は質実剛健なEQTシリーズを打ち出していた。
当時、アディダスはドイツのステレオタイプ的生真面目な動きに出ていた。スニーカー市場はバスケットボールの競技用具のお洒落アイテム化によって誕生した。そのため、ナイキやリーボックは派手で斬新なシューズをデザインしていた。そんな中、主力EQTシリーズは「エクイップメント」のネーミング通り質実剛健な製品だった。
天才サニー・ヴァッキャーロ登用&リーボック買収
- シグニチャーシューズ
ディケンベ・ムトンボ(1991-93?)
-ADIDAS MUTOMBO(1993)
コービー・ブライアント(1996-2002)
-KB8(1997)
トレイシー・マグレディ - エンドサー
アントワン・ウォーカー: - EQT(1990~)
Top 10 2000/Top Ten 2010/EQT Elevation等
スニーカー大戦本格参戦
1993年2月、アディダスは米国支社を設立し、元ナイキ役員ロバート・シュトラッサ―をトップに据え、巻き返しを図った。そして、ディケンベ・ムトンボのシグニチャーシューズが急ピッチで製造された。デザインは昨年のコンセプトの転用で賄われた。
スニーカー市場の創造主登用
その後、サニー・バッキャーロが登用された。同氏はナイキ×マイケル・ジョーダンの仕掛け人である。そして、コービー・ブライアントとトレイシー・マグレディがエンドーサーに見出された。
「Sole Man」はサニー・ヴァッキャーロのドキュメンタリー映画だ。エアジョーダンの前後の話も盛り込まれている。同作品は「ESPN+」や「TSN」で視聴可能だ。日本語訳は無い。
リーボック買収
そして、2005年、同社はリーボックを買収した。
LAギア(L.A. Gear): 超大型契約の大失敗
- カリーム・アブドゥル・ジャバー
- カール・マローン
- アキーム・オラジュワン(-1995)
- ルーク・ウォルトン(2004-05)
1983年、LAギアはフィットネスブームとスニーカーゴールドラッシュに乗って誕生し、複数のビッグネームとの契約で名を挙げ、僅か数年でスニーカー市場3位に浮上した。そんな中、1990年のマイケル・ジャクソンの$20万/2年契約がスランプとスキャンダルで大失敗に終わった。そのため、同社は格安シューズ路線に舵を切り、何とか会社の維持に努めたものの、1998年に米連邦破産法第11章(日本の民事再生法相当)を申請せざるを得なくなった。さらに、2004年、エンドーサーのロン・アーテスト(メッタ・ワールド・ピース)が乱闘で長期出場停止に追い込まれた。そのため、男性向けシューズからの完全撤退が決定した。
AND1: ストリートボール一大旋風の火付け役
ストリートウェアブランド
- ステフォン・マーブリー(1996-03?)
-Coney Island(1996)
1993年、AND1はTシャツブランドとしてペンシルベニア大学の学生達によって創業された。最大の特徴は鋭いトラッシュトークだ。その後、Tシャツはとんとん拍子でフットロッカーでの取り扱いが決まった。そして、1996年、同社はステフォン・マーブリーのシグニチャーシューズでバスケットボールシューズ市場進出を決めた。
米国発バスケブランド2位(2001)
米国マーケティング史上指折りの成功例
20世紀末、代名詞AND1 Mix Tapeは産声を上げた。1998年、AND1はレイファー・アルストン a.k.a スキップ・トゥ・マイ・ルーのハイライトプレーにヒップホップを乗っけてミックステープとしてバスケットボールクリニックや床屋で配布した。反響は予想以上だった。そのため、2000年夏、同社は次回作の動画素材集めのためにストリートボーラーチームを組んで東海岸のストリートコートを周った。その後、第二弾は全米のスポーツ用品店で合計20万本が配布された。
商品の劇的改善
一方、AND1は自社製品の劇的なパフォーマスとデザインの改善に成功した。第1作「Coney Island」はステフォン・マーブリーの約2週間の戦線離脱の負傷と大失敗に終わっていた。デザインも万人受けから程遠かった。そのため、シューズの改良は急務だった。その後、同課題は共同創業者のジェイ・コーエン・ギルバートに奇跡的にシューズ設計の才能によってあっさりと解決された。
AND1ミックステープツアー開始
その後、AND1ミックステープツアーは夏の風物詩となった。そして、2002年、同企画はESPNのドキュメンタリー番組としての製作も始まった。
最盛期: NBAエンドーサー増強
シグニチャーシューズ |
---|
ラトゥレル・スプリウェル(1999-2003) The Spree Mid(2002) |
ケビン・ガーネット(2001-03) |
NBAエンドーサー |
---|
デズモンド・メイソン(2002?-) |
ショーン・マリオン(2002?) |
ベン・ウォレス(2002?-07?) |
チャウンシー・ビラップス(2003?-) |
リップ・ハミルトン(2003?) |
ラリー・ヒューズ |
スニーカーFAの着用者 |
---|
ビンス・カーター(1999-2000) |
コービー・ブライアント(2002-03) |
ジェリー・スタックハウス(2001-02) |
NBA選手間の流行
2000年代初め、AND1シューズはNBA選手にも認められ始めた。最大の幸運はビンス・カーターのダンクコンテスト優勝時のタイチミッド着用だ。同選手は1999-2000にプーマとの契約解消直後でスニーカーフリーエージェントだった。その結果、NBAスター選手がエンドサーに次々と名を連ね始めた。ケビン・ガーネットは親友ステフォン・マーブリーの一押しもあってシグニチャーシューズ製作までに至っている。また、2003-04、デトロイト・ピストンズはAND1契約者3名をコアメンバーとしてNBA制覇を果たしている。
コービー・ブライアントは2002-03に前アディダスとの契約でエンドースメント契約を封じられていた。ジェリー・スタックハウスは2001年12月にSilky Smoothにナイキのロゴを張り付けて着用している。
大手企業の模倣CM
そして、2001年、AND1は”ある意味の褒賞”を受けた。世界のナイキとリーボックがこぞってストリートボール風のTVコマーシャルを製作した。三枚目Tシャツブランドが創業10年未満で世界的大企業のマーケティングに影響を与えたのだ。
創業者の経営陣撤退と衰退
2005年、創業メンバー/社長のセス・バーガー(Aeth Berger)はAND1をアメリカン・スポーティング・グッズに売却した。主な理由は「ジェイ・コーエン・ギルバートのスランプ」と「売上減少」だ。
その他(アルファベット順)
エーペックス(APEX)
1996年、エイペックスはカール・マローンと5年契約を結んだ。その後、1996-97、同選手はAPEX Mailmanを履いてMVPを獲得した。
アシックス
- アレックス・イングリッシュ(1987-90?)
- マイケル・クーパー(1988-89頃)
- カート・ランビス(1988-89頃)
- アイザイア・トーマス(1991?-94)
-Gel Spotlyte IT(1992)
アシックスは1980年代後半にNBAエンドーサー契約を開始した。最も有名なのはアイザイア・トーマスだ。
アビア(AVIA)
- ジョン・ストックトン(1980年代後半頃)
- スコティ・ピペン(1987-91)
- ジョン・セイリー
- AC・グリーン
- クライド・ドレクスラー(1990-96)
– - ロバート・パリッシュ
若き日の殿堂入り選手3名と契約
アビアは「スニーカーブーム便乗創業(1979)」→「リーボック傘下(1987)」でバスケットボールシューズラインの800番台の製造に取り掛かった。エンドーサーは若手選手の青田買いで賄われた。
ブランディング的撤退
一方、親会社リーボックがバスケットボール市場参入に成功していた。そのため、1990年代半ば、アビアは「バスケットボール→リーボック集中」のブランディングでバスケットボールシューズの製造を止めた。最大の功労者クライド・ドレクスラーはリーボックへ移籍した。
ブルックス(Brooks)
ブルックスは1985年前後にドミニク・ウィルソンのシグニチャーを発売し、実際に1985年に”ザ・ヒューマン・ハイライト・フィルム”はマイケル・ジョーダンにダンクコンテストで勝利を挙げたものの、程なくしてバスケットボールシューズから撤退し、1914年からの野球スパイク事業に戻った。
チャンピオン
1994-95、グレン・ライスがチャンピオンシューズを着用してキャリアハイの56点を記録した。同社は創業100年以上の歴史の中で幾度かバスケットボールシューズ製造を試みている。
ダダ(DADA)
- クリス・ウェバー(2001-02?)
-DaDa CDubbz - ラトゥレル・スプリーウェル(2003-?)
-DaDa Supreme Spinners
2001-02、ダダはクリス・ウェバーのシグニチャーシューズでバスケットボールシューズ市場に進出した。その後、2003-04、通称「スピナー」はデザイン性から話題となった。同作品はクリス・ケイマンやカルロス・ブーザーにも着用されている。同ブランドは辛うじて日本で存在している。
エトニック(ETONIC)
- アキーム・オラジュワン
-Akeem The Dream(1984)
老舗シューズメーカーのエトニックは1984年にアキーム・オラジュワンのシグニチャーシューズでバスケットボールシューズ市場参戦を試みた。
ユーイング・アスレティックス(Ewing Athletics)
1989年、パトリック・ユーイングは独自ブランド「ユーイング・アスレティックス」を起ち上げた。そして、第一作「Ewing 33 HI」は大方の予想を裏切って1990年の初年度だけで売上$1億の大ヒットを飛ばした。その後、1996年までに20作がリリースされている。現在も過去作の販売が細々と続いている。
ユーイング・アスレティックスは「ビッグマンのシグニチャーシューズ」&「NBA選手のオウンブランド」の2つの観点からかなり稀有な成功例である。
フィラ(FILA)
- グラント・ヒル(1994-)
-FILA GRANT HILL 1(1995)~ - クリス・ウェバー
- ジェリー・スタックハウス(1995-/2012-13)
-Stouckhouse 1 - NIKKI MCCRAY
-Fila Nikki Delta(1999)
ジェリー・スタックハウスはFILAのファッション志向で早々に契約を解消した。その後、2012-13、両者は再びタッグを組んだ。
カンガルー(KangaROOS)
- クライド・ドレクスラー(1983-84)
-KangaROOS Slam Dunk
カンガルーズは創業4年目の1983年に新人クライド・ドレクスラーを迎えてバスケットボールシューズを製作した。
ミズノ
日本企業ミズノも1990~95年にサクラメント・キングスのスパッド・ウェブを迎えてバスケットボールシューズ市場に挑戦していた。実質的シグニチャーシューズの「ランバード・スカイドラゴンSD」も製造されている。
ニューバランス
シグニチャーシューズ |
---|
ジェームス・ウォージー Worthy 740 “Worthy Express”(1985) Worthy 790(1987) |
シューズ |
---|
480(1982) ボストン・セルティックの選手達(CL・カー等) |
P550 Basketball Oxford(1989) |
ニューバランスはジェームス・ウォージーのシグニチャーシューズを発売した。一方、勝ち筋は薄かった。そのため、1990年、同社は早々に”Endoresed by No One”を謳ってアンバサダー無し戦略に舵を切った。
550はニューバランスのバスケットボール市場失敗の象徴だ。その後、バスケットボールシューズの製造は四半世紀以上も休止を続けた。当時の製品の資料は本社にすら残っていなかった。そんな中、同作は2020年代からAime Leon dore、AURALEE、size?、コムデギャルソン、JFG、Klutch Sports等とコラボ再販で”ダンク”化を目指している。
ノーティカ
1997年、ノーティカはグレン・ライスのシグニチャーシューズを製作した。
ポニー(PONY)
シグニチャーシューズ |
---|
スパッド・ウェブ Pony City Wings(1985?) |
アール・モンロー MVP(1985) |
シューズ |
---|
Profile(1985) |
M-100(1988) |
M-110(1990) |
ポニーは1990年代初めにNBAを後にした。スパッド・ウェブは1985~90年のアトランタ・ホークス時代にエンドースメントをこなしていた。1986年のダンクコンテスト優勝もブランディングに貢献したはずだ。その後、バスケットボールシューズの販売自体はしばらく続いていたようだ。
シャック/ダンクマン(SHAQ/Dunkman)
1998年、シャキール・オニールは格安ブランド「シャック」と「ダンクマン」を起ち上げた。実際、ブランドオーナー自身も自身のブランド製品でしばしば試合に出場していた。その後、両ブランドは紆余曲折を経て統合された。一応、通称「シャックシューズ」は今でも小売最大手ウォルマート等で売られている。
スポルディング
1995~2000年、アキーム・オラジュワンはスポルティングと契約していた。「ザ・ドリーム」は本人の意向で貧困層にも購入可能な$35で大手小売店で売られた。そして、販売戦略が見事に裏目に出てしまった。チープシューズは憧れの対象にはならなかったのだ。
スポットビルト(Spot-Bilt)
スポットビルトは1984年のマイケル・ジョーダン競売の最高額オファーで知られている。一方、商談はサンプルスニーカーの残念さで失敗に終わった。その後、同社はゼイビア・マンフォードをエンドーサーにエクスプレス(X-Press)を発売している。
ワーナー・ブラザース・ディスカバリー(Wanner Bros.)
- ブライアン・リーブス(1995‐96?)
- グレン・ライス(1995-96)
-GR41 Warner Brothers(PE版)
1995年、ワーナー・ブラザース・ディスカバリーは、映画「スペースジャム(1996)」のプロモーションもあってか、バスケットボールシューズ市場に飛び込んだ。そして、ブライアン・リーブスとグレン・ライスが選ばれた。その後、前者は通称「Warner Brother Sport Shoe」でレギュラーシーズン試合に出場し、後者は1996年のオールスターゲームで「GR41 Warner Brothers(PE版)」を着用してMVPを獲得した。
ナイキ vs. アディダス(2000年代後半~2010年代前半)
- ナイキ&アディダスの二強時代
- バスケットボールシューズとライフスタイルの完全分離
- 中国ブランドの台頭
ナイキ
シグニチャーシューズ(ナイキ)
エンドサー | 契約期間 | シグニチャーシューズ |
---|---|---|
レブロン・ジェームス | 2003- | Zoom Generation(2003) Lebron 1~ |
コービー・ブライアント | 2003- | Nike Air Huarache 2k4(2003)* |
ケビン・デュラント | 2007- | KD1(2009)~ |
カイリ・アービング | 2009-23 | KYRIE 1(2014)~ |
コービー・ブライアント
2003年、ナイキはコービー・ブライアントと$4,000万以上/5年のエンドースメント契約を交わした。一方、当時は婦女暴行疑惑の係争中だった。そのため、プロモーション活動の参加とシグニチャーシューズ製作は見送られていた。唯一の役割はシューズの着用だけだ。そして、その結果、いくつかのB級シューズが実質的シグニチャーシューズの扱いとなった。
ジョーダン
エンドサー | 契約期間 | シグニチャーシューズ |
---|---|---|
カーメロ・アンソニー | 2003- | Jordan Melo 1.5(2004)~ |
クリス・ポール | 2006- | CP3.1(2008)~13(2020) |
ドウェイン・ウェイド | 2009-12 | Fly Wade(1/2) |
ラッセル・ウェストブルック |
ドウェイン・ウェイド
フライウェイドはロゴのパクリ裁判の敗訴等で失敗に終わった。2012年、ドウェイン・ウェイドはリーニンに移籍してしまった。
その他
ジョー・ジョンソン/ジェラルド・ウォーレス/レイ・アレン/ブレイク・グリフィン等
コンバースの復活と完全撤退
シグニチャーシューズエンドーサー ドウェイン・ウェイド(2003-09): Wade1/1.3/2/3/4 |
エンドーサー クリス・ボッシュ(2003-)/カーク・ハインリック(2003-)/マイケル・スウィートニー(2003-)/トロイ・ベル(2003-)/ジャミーア・ネルソン(2004-)/ウドニス・ハスレム(-12)/カイル・コーバー/アランド・タッカー/エルトン・ブランド等 |
シューズ Loaded Weapon(2003) |
救世主ドウェイン・ウェイド
2003年、ナイキはルーキー5名でコンバースのリブランディングを図った。そして、ドウェイン・ウェイドが頭角を現し、久しぶりのシグニチャーライン製造も決まり、「ウェイド1」「ウェイド1.3」「ウェイド2」は当人の大活躍によって世界でそれぞれ100万足近くを売り上げた。
エース喪失→撤退開始
そんな中、2009年、ドウェイン・ウェイドは最新作「ウェイド4」の不満からジョーダンブランドへ移籍してしまった。そして、ナイキはコンバースのライフスタイルとスケートボード集中を決めた。パフォーマンス部門は即座に解散された。
長い歴史の閉幕
2011年頃、バスケットボールシューズ製造が完全に終了した。そして、2012年6月、コンバースはウドニス・ハスレムの「Converse Sicks」着用をもってNBAのコートから姿を消した。
2003年は大勝負だった。ナイキはティム・ダンカンとケビン・ガーネットを手放し、実力未知数のルーキートリオのレブロン・ジェームス、カーメロ・アンソニー、ドウェイン・ウェイドを3ブランドの新顔として迎え、婦女暴行疑惑の裁判中で当分のエンドースメント不可状態のコービー・ブライアントを拾った。つまり、全員失敗の可能性もあった。ちなみに、翌2004年&2005年の動きは大勝負の反動でささやかになっている。
高性能シューズの開発
- ハイパー系
Hyper Dunk
Hyper Fuse
Hyper Quickness - エンドサー
ダーク・ノビツキー/アマレ・スタウダマイヤー/スティーブ・ナッシュ等
2000年代後半、ナイキはバスケットボールシューズの性能を飛躍的に向上させた。ハイパーダンクシリーズは北京五輪の米国代表の初号機「The Hyperdunk 2008」着用で大々的に売り出された。そして、以降、競技志向者達の支持は絶対的になった。2013-14、NBAのエンドースメント契約者数は約300名にのぼっていた。後継機「ハイパーダンク2013」と従兄弟「ハイパークイックネス」はそれぞれ80名と39名に愛用されている。
アディダス
バスケットボール市場への本格参入
2006年、アディダスはリーボックの契約を上書きしてNBAオフィシャルサプライヤーに就任した。
シグニチャーシューズ
エンドサー | 契約期間 | シグニチャーシューズ |
---|---|---|
トレイシー・マグレディ | 1997-現在 | Adidas TMac 1 Adidas TMac 2 Adidas TMac 3 Adidas TMac 4 Adidas TMac 4.5 Adidas TMac 5 Adidas TMac 6 TS Lightspeed(2007)* TS Creator(2008)* TS Cut Creator(2008-09) TS Lightning Creator(2008-09) TS Supernatural Creator TS Speedcut TS Commander TS Lowmotion |
ティム・ダンカン | 2003-16 | TS Commander Lite*等 TS Creator(2008)* |
ケビン・ガーネット | 2003-10 | TS Creator(2008)* |
ドワイト・ハワード | 2004-15 | TS Creator(2008)* adipower Howard(2011) adipower Howard 2(2012) adipower Howard 3 (2013) |
チャウンシー・ビラップス | C-BILLUPS(2006-07) TS Creator(2008)* TS Cut Creator(2008-09) | |
ギルバート・アリーナス | ||
デリック・ローズ | 2009- | AdiZero ROSE 1(2010)~2.5(2012) Rose 773 1(2012)~4(2015) D Rose 3(2012)~4.5(2014) D Rose Boost 5(2014)&6(2015) D Rose 7 Primeknit(2016) D Rose 8(2017)~11(2020) Rose 773 2020(2020) Son of Chi 1(2021)~ |
デイミアン・リラード | 2012- | Dame 1(2015)~ |
ジョン・ウォール | 2013-16/2018-23 |
チームシューズ(TS)
先述のエクイップメントシリーズ然り、独企業アディダスの根底は質実剛健さだ。そして、2007‐08、チームシューズシリーズが始まった。この間、シグニチャーシューズ製造は低減されている。TSラインは1つの製品をメインエンドーサーのチームカラーの複数色で展開された。デザインは軒並み斬新さや派手さから程遠かった。また、定価は$100以内と手頃だった。大半は地味なルックスからセールで売られていたはずだ。
ドワイト・ハワード
ドワイト・ハワードのシグニチャーシューズはビッグマンの不人気さとチームシューズ戦略で人気絶頂期の以降に先送りされた。
デリック・ローズ
デリック・ローズのシグニチャーシューズは2010年代のアディダス史だ。いくつかの作品は当時売出し中の機能名を含んでいる。
アディダスはWNBAキャンデス・パーカーの「TS Ace Commander」と「Ace Versatility(2011)」も製造している。
質実剛健
- A3/A Cub(2002年頃): ナイキショックス類似のミッドソール
- Grand Control System/GCS(2004年頃): 衝撃吸収
- BOUNCE(2006年頃): 硬質ソール
- AdiZero(2008年): シューズ全体の構造
- Crazy Light(2011): シューズの軽量化
- CrazyLight Boost(2012): クッション
- SprintWeb(2013): 耐久性と通気性向上&軽量化の構造
アディダスは1997年に仏スポーツ用品製造企業のサロモン・グループを買収し、複数のランニングから球技からアウトドアシューズのテクノロジーの開発に成功し、パフォーマンスシューズの機能性を向上させた。ランニングシューズや登山靴のテクノロジーはバスケットボールシューズにも組み込まれている。
リーボック
- シグニチャーシューズ有り
ジョン・ウォール(2010-13)
-Zig Encore(2011)/Zig Slash(2011)/Zig Escape(2012) - シグニチャーシューズ無し
ヤオ・ミン/ジャマール・クロフォード/アル・ジェファーソン/ジャミーア・ネルソン/ショーン・リビングストン(2004-)/ダニーロ・ギャリナリ/アイザイア・トーマス/ジェイソン・テリー/アンドレ・ミラー/レイモン・セッションズ/等
2013年、アディダスはリーボックのバスケットボールシューズ製造を止めた。
アンダーアーマー(Under Amour)
- ブランドン・ジェニングス(2008-17?)
-Micro G Black Ice(2010) - ケンバ・ウォーカー(2011-15)
- ディアンドレ・ジョーダン(2011末-14)
- グレビス・バスケス(2013年頃)
- レイモンド・フェルトン(2013年頃)
- ウィル・バートン(2013年頃)
- ケント・ベイズモア(2013年頃)
2008年、アンダーアーマーはブランドン・ジェニングスを迎えてバスケットボール市場参入を発表した。その後、同選手は2008-09の高校卒業-NBAドラフトエントリーのモラトリアムをイタリアで過ごし、 翌2009年に全体10位でミルウォーキー・バックスに指名され、ルーキーシーズンを順風満帆に過ごした。そして、2010年10月、同社は正式にバスケットボール部門とバスケットボールシューズラインを設立した。
中国ブランドの台頭
アンタ(ANTA)
- スティーブ・フランシス(2007-?)
- ルイス・スコラ(2007-)
- ケビン・ガーネット(2010-)
- レイジョン・ロンド(2013-20)
-RR1(2014)~RR6(2020) - チャンドラー・パーソンズ(2013末-15)
ハンブルスタート
2007年、最初のNBAエンドーサーのスティーブ・フランシスは僅か10試合でシーズン全休となってしまった。そのため、急遽、オールドルーキーのルイス・スコラがエンドーサーに迎え入れられた。
本格始動
2010年、アンタはアディダスからケビン・ガーネットを奪取した。一応、両者は生涯契約を結んでいた。さらに、2013年、レイジョン・ロンドとチャンドラー・パーソンズがエンドースメントメンバーに加わった。その後、暫しの間、同4名は「チームプライスレス」の呼称で広告塔を務めた。
アンタは2009年にフィラを買収した。現在、ウィルソンも傘下に入っている。
リーニン(Li-Ning)
シグニチャー有り ドウェイン・ウェイド(2012-) -Way of Wade |
シグニチャー無し デイモン・ジョーンズ(2006-) シャキール・オニール(2006-11) チャック・ヘイズ(2006-) ウドニス・ハスレム(2012-23) |
中国ブランドのパイオニア
2006年1月、初のNBA選手-中国ブランドのエンドースメント契約はリーニンとデイモン・ジョーンズによって果たされた。その後、同年夏、同社はシャキール・オニールと$1.25M/5年契約を結んでNBA市場に本格参戦した。そして、同年末、ヒューストン・ロケッツのチャック・ヘイズもエンドサーメンバーに加わっている。
ブランディッグのコア獲得(2012~)
2012年、リーニンはドウェイン・ウェイドを独立シグニチャー&10年契約で迎えた。
ピーク(PEAK)
エンドサー(契約期間) | シグニチャーシューズ |
ロン・アーテスト(200?-10/2010-14) | Ron Artest1&2 |
シェーン・バティエ(2006-14) | PEAK SHANE BATTIER1~9(2011) |
ジェイソン・キッド(2008-12) | |
ケビン・ラブ(2009?-11) | Peak Rentless |
カイル・ラウリー(2009?-14) | PEAK TEAM LOWRY(2011) |
ジャベール・マギー() | Team JaVale McGee(2011) |
ジョージ・ヒル(2013?) | |
トニー・パーカー(2013-)※17番目 | TP1(2014) |
ドワイト・ハワード(2015-) |
ヒューストン・ロケッツ=中国チーム
2000年代中盤、ヒューストン・ロケッツはヤオ・ミンの存在から数多の中国企業のバックアップを受けていた。ピークもディケンベ・ムトンボ等のスポンサードを行っていた。そして、2006年、同社は初のNBAエンドーサーにシェーン・バティエを迎えた。その後、同球団関係者のロン・アーテスト、カール・ランドリー、カイル・ラウリーがエンドーサーになっている。
ジャベール・マギー
ジャベール・マギーは2011年のダンクコンテスト内で計5種類のシューズに履き替えた。当然、シューズは交代の度にカメラに捉えられてテレビに映し出された。そして、2011-12、ピークはエンドーサーへの感謝も兼ねてか、シグニチャーシューズを製作した。
361°
- ケビン・ラブ(2011-15)
-Kevin Love 1等
361℃は2003年創業から僅か数年で中国五大スポーツメーカーの一角にまで急成長を遂げた。そして、2011年、同社はケビン・ラブをエンドーサーに迎えた。
その他
AND1
- エンドサー
モンテイ・エリス(2008-12頃)
-ME8
ランス・スティーブンソン(2012) - ストリートボールツアー(2010-12)
AND1 Presents STREET2ELITE 1@日本(2010)
AND1 Presents STREET2ELITE 2@日本(2011)
AND1 LIVE@プエルトリコ(2012)
2012年、AND1はオーナー会社の目まぐるしい変更の最中にランス・スティーブンソンをエンドーサーに迎えた。また、同ブランドは2012年を最後にストリートボールツアーから完全に手を引いた。一方、2011~15年、主要メンバー達は「ボールアップ(Ball Up)」としてツアーを催行していた。
ボールン(BALL’N)
2010年、ボールンはロン・アーテストをエンドーサーに迎えた。厳密にはシグニチャーシューズは製造されていない。その後、同選手はシューズ起因で足裏の炎症を起こしたようだ。
ブランドブラック(BRANDBLACK)
- 名称: BRANDBLACK
- 創業: 2013
- 拠点: LA
- エンドサー/シューズ
ジャマール・クロフォード(2013-16?)
-J. CROSSOVER 1~3(2013)
2013年、ブランドブラックは創業間もなくしてジャマール・クロフォードをエンドーサーに迎え、シグニチャーシューズを製作した。その後、2017年、ラングストン・ギャロウェイが「WearTesters x Brandblack Rare Metal」をプレシーズンゲームで着用している。
K1X
2005年、K1Xはロン・アーテストをエンドーサーに迎えた。同ブランドはバスケットボールとヒップホップファッションの融合を目指していた。
ルコックスポルティフ(Le Coq Sportif)
2007年、ジョアキム・ノアは元テニス選手の父親への憧れからルコックスポルティフと契約した。同ブランドはバスケットボール界では無名だ。そして、2013-14、不慣れなバスケットボールシューズは見事に大失敗に終わった。その後、同選手は貧相なシグニチャーシューズで負傷した。そして、結果的にキャリアは右肩下がりとなった。そのため、両者は後に係争に発展している。
パンダフレンド(Panda Friend)
2014-15、メッタ・ワールド・ピース(ロン・アーテスト)は中国CBAの四川ブルーウェールズで15試合に出場した。その際、同選手は独自ブランドのパンダの人形付きのシューズを着用していた。通称「パンダフレンド」は$80で一般販売もされていたようだ。
ポニー(Pony)
- ウィルソン・チャンドラー(2007-)
-Wings ’08/Starter ’08/Quix等
-UL-38 Wilson Chandler(2009)
2007年、ポニーは「米独立リーグABAのフットウェアサプライヤー」と「ウィルソン・チャンドラーのエンドーサー契約」でバスケットボールシューズを再開した。2007-08、全ABA選手達は「Pony Quix」を着用していた。そして、2009年、念願のシグニチャーシューズも製作された。
プロテジェー(Protege)
- アル・ハリントン
-A3H - スティーブン・ジャクソン
-StackJac(2009)
プロテジェーは2009年にNBAニューヨーク・ニックスのアル・ハリントンによって起ち上げられた。販売店は格安路線の志向性から小売大手Kマートに決まった。パフォーマンスは「安かろう悪かろう」だったようだ。その後、同ブランドは2013年頃に消滅したようである。
当時、Kマートは絶滅の危機に瀕していた。現在、辛うじて世界中に9店舗のみ存在している。同社は巨大小売チェーンの祖でありながら2009年に大手デパートのシアーズに取り込まれて2010年代はリブランディングの真っ只中にいた。
チャオダン(Qiaodan Sports/喬丹体育)
チャオダンは2010年半ばにチャック・ヘイズとエンドースメント契約を結んでいた。
スポルティング
- ジマー・フレデッテ(2011-12?)
-Spalding Slash(2011) - マリオ・チャルマース(-13?)
- クリス・シングルトン(-13?)
2010年代、スポルティングはバスケットボールシューズの製造を再開していた。
スターブリー(Starbury)
- ステフォン・マーブリー(2006-)
- ベン・ウォレス(2006?-08)
-STARBURY BIG BEN(2007)
2006年、ステフォン・マーブリーは自身のブランド「スターブリー」を起ち上げた。同氏は少年時代に家庭の経済的困窮から新作スニーカーを買ってもらえなかった。そのため、値付けは「誰でも買える」をコンセプトに破格の$15程度だった。
ナイキ一強時代(2010年代後半~)
ナイキ
NBAのカラー制限撤廃
2018年、NBAはシューズのカラー制限を取っ払った。つまり、選手はどんな色のシューズの着用も可能になった。その結果、新デザインのシューズのお披露目機会が爆増した。
シグニチャーシューズ
エンドサー(ナイキ) | 契約期間 | シグニチャーシューズ |
---|---|---|
ポール・ジョージ | 2010- | PG1(2017)~ |
ヤニス・アデトクンボ | 2013- | Nike Air Zoom Freak 1(2019)~ |
デビン・ブッカー | 2015- | Book 1(発売決定) |
ジャ・モラント | 2019- | Ja 1 |
エンドサー(ジョーダン) | 契約期間 | シグニチャーシューズ |
---|---|---|
ラッセル・ウェストブルック | 2012- | WHY NOT ZER0.1 |
ジェイソン・テイタム | 2017- | Tatum 1 Tatum 2 Tatum 3 |
ルカ・ドンチッチ | 2018- | Luka 1 Luka 2 Luka 3 |
ザイオン・ウィリアムソン | 2019- | Zion 1(2021)~ |
ヤニス・アデトクンボ
2017年、ナイキとヤニス・アデトクンボはシグニチャーシューズ製作で契約更新に合意した。そして、2019年6月、待望の第一弾「フリーク1」が発売された。
ラッセル・ウェストブルック
ラッセル・ウェストブルックは2012年にナイキからジョーダンブランドへ引っ越した。そして、2018年にようやくシグニチャーシューズシリーズが始まった。
ターボ・セフォローシャはランニングシューズの「ナイキエアマックス90」を着用していた。
高価格帯パフォーマスシューズ
Nike introduces its “GT Squad,” featuring:
— Nick DePaula (@NickDePaula) September 7, 2023
• @Arike_O
• @Wemby
• @PaigeBueckers1
• @ShaedonSharpe
• Jordan Poole
The players representing the next generation of hoops will headline the upcoming GT Cut, GT Jump & GT Hustle sneakers. pic.twitter.com/8rqLTjW4CU
GTシリーズは高価格帯のハイパフォーマンスラインだ。NBAビクター・ウェンベニヤーマとジョーダン・プールはGTスクアッドとしてエンドサーを務めている。
コンバースのNBA復帰
- ケニー・ウーブレJr(2018-)
- ドレイモンド・グリーン(2020-23)
- シェイ・ギルジス-アレクサンダー(2020-)
2018年、ナイキはケニー・ウーブレJrとコンバースのエンドースメント契約を発表した。一方、当時、同契約はあくまでもオフコートの契約だった。そんな中、2019年、新作「All Star Pro BB」の発売が発表された。その後、2020年、ドレイモンド・グリーンとシェイ・ギルジス-アレクサンダーがエンドサーメンバーに加わった。
CEO交代
- 前CEO時代(2020-24)
ダイレクト・トゥ・カスタマー戦略 - 現CEO時代(2024-)
NBAやWNBAの関係性強化(2024)
2024年10月、CEOの交代が行われた。前CEOジョン・ドナホー(John Donahoe)は2020年の就任時から得意のデータ重視の戦略でDTC戦略とジョブ整理を行った。その後、コストカットはコロナ禍では一定の成果を挙げている。一方、小売店軽視は売上を下げ、大量解雇は従業員のコミットメントを減少させ、非革新的な製品はブランド価値を棄損した。そして、2024年7月、株価は大幅に値下がりした。そのため、エリオット・ヒルがCEOに呼ばれた。同氏は2020年の定年退職までナイキで働いていた。その後、NBAとGリーグとWNBAのサプライヤー契約延長(-2037)が発表された。
アディダス
打倒ナイキ路線中止
- NBAオフシャルサプライヤー撤退(2017)
→ナイキ - リーボック売却(2021)
→オーセンティック・ブランド・グループ
2017年、アディダスはNBAのオフィシャルパートナーの座をナイキに譲り、2021年にはリーボックをオーセンティック・ブランド・グループ(Authentic Brands Group)に売却した。
スターシグニチャー
エンドサー | 契約期間 | シグニチャーシューズ |
---|---|---|
デリック・ローズ | 2009- | AdiZero ROSE 1(2010)~2.5(2012) Rose 773 1(2012)~4(2015) D Rose 3(2012)~4.5(2014) D Rose Boost 5(2014)&6(2015) D Rose 7 Primeknit(2016) D Rose 8(2017)~11(2020) Rose 773 2020(2020) Son of Chi 1(2021)~ |
デイミアン・リラード | 2012- | D Lillard 1(2015)~ |
ジェームス・ハーデン | 2016- | Harden Vol.1(2017)~ |
ドノバン・ミッチェル | 2017- | D.O.N. Issue(2019)~ |
トレイ・ヤング | 2018-23 | Trea Young 1(2021) Trae Young 2(2022) Trae Young 3(2023) Trae Young unlimited(2023) Trae Young unlimited 2(2024) Trey Young 4(2024発売予定→中止) |
アンソニー・エドワーズ | 2021- | AE1(2023)~ |
ジェイレン・グリーン | 2022- |
ジェームス・ハーデン(2016-)
2016年、アディダスはジェームス・ハーデンを$200万/13年契約で迎えた。翌2017年、シグニチャーシューズラインが始まった。2023-24以降、ハーデン・ボリューム8は多数のNBAとカレッジプレイヤーの足元で見られる。
トレイ・ヤング(2018-23)
トレイ・ヤングは2023年夏にシグニチャーラインの終了を告げられてエンドースメント契約を解消した。
アンソニー・エドワーズ
2023年、ライジングスターのアンソニー・エドワーズのシグニチャーシューズが
シグニチャー無し
ザック・ラビーン(2017-21)
ザック・ラビーンはシグニチャーシューズの製造に至らなかった。
ジョエル・エンビード(2014-18)
ジョエル・エンビードは2018年にアンダーアーマーに移籍した。
メジャーブランド
アンダーアーマー
エンドサー | 契約期間 | シグニチャーシューズ |
---|---|---|
ステフィン・カリー | 2013- | カリー1(2015-) カリーブランド設立(2020) |
ジョエル・エンビート | 2018-23 | UA Embiid 1(2020) |
ディアーロン・フォックス | 2023- | FOX 1(2024-) |
運命の相手
2013年、アンダーアーマーは運命の相手ステフィン・カリーと契約した。シグニチャーシューズラインはパフォーマス面で好評だ。その後、2020年、カリーブランドが設立された。
孤軍奮闘
一方、孤軍奮闘が続いている。ジョエル・エンビードは僅かシグニチャーシューズ1作に終わった。やはりビッグマンはエンドサーに向かない。その後、2023年、ディアーロン・フォックスがカリーブランドに迎えられた。
プーマ
エンドサー | 契約期間 | シグニチャーシューズ |
ラメロ・ボール | 2020- | MB.01(2021) MB.02(2022) MB.03(2023) |
スクート・ヘンダーソン | 2023- | Scoot Zeros(2023) |
2018年、プーマはディアンドレ・エイトン、マーカス・バグリー、ケビン・ノックスらルーキー複数名と契約してNBA帰還を果たした。その後、2019年2月、同社はNBAの公式フットウェアのスポンサー契約を締結した。そして、2021年、ラメロ・ボールのシグニチャーシューズが発売された。スクート・ヘンダーソンのシグニチャーシューズはルーキーシーズンの発売となった。
ニューバランス
エンドサー | 契約期間 | シグニチャーシューズ |
カワイ・レナード | 2018- | KAWHI(2020) |
バスケットボールシューズ市場復帰
2018年、ニューバランスは1990年以来のバスケットボールシューズ市場復帰を果たした。そして、カワイ・レナードがエースエンドーサーに迎えられた。また、同年、同社は敏腕代理人リッチ・ポールの進言でNBAプロスペクトのダリアス・ベイズリーのインターンシップ(報酬$100万/3カ月)を受け入れた。その後、NBAエンドーサーは徐々に追加されている。
2005年以降、北米拠点選手はNBAドラフトエントリーに際して「高校卒業後NBA1シーズン経過」と「ドラフト年内の19歳」を満たさなければならない。そのため、多くは最低1シーズンの大学進学を余儀なくされた。一方、一部の選手達は海外プロやポストグラデュエート制度の道を選んだ。そして、ダリアス・ベイズリーは前代未聞のインターンルートでモラトリアム期間を過ごした。
異色コラボ連発
一方、斬新な動きが目立つ。2020年10月、ニューバランス×エメレオンドレのコラボコレクションは広告塔に地元NYCのAAUクラブチームが抜擢された。その後、2023年夏、同社は新ブランドとしてスポーツ代理事務所クラッチ・スポーツ・グループ(Klutch Sports Group)のクラッチ・アスレティックスを起ち上げた。
近年、ニューバランスは「550」の”ダンク”化に挑戦している。同製品はバスケットボールシューズ大戦時代の最後の製品であり、当時の設計書は既に消失していたものの、2020年にAime Leon doreのコラボに際して日本のカタログの僅かな情報から復元され、以降はAURALEE、size?、コムデギャルソン、JFG、Klutch Sports等とのコラボで再販が続いている。
リーボック: バスケットボールシューズ復帰
2023年12月、リーボックはシャキール・オニールとアレン・アイバーソンをバスケットボール部門社長と副社長に迎え、2025年のバスケットボールシューズ復活を宣言した。その後、LSUの後輩のエンジェル・リースがエンドーサーとして迎えられた。そして、2024年10月、復帰後初のNBAエンドーサーはマタス・ブゼリスに決まった。また、同社はメキシコシティ・キャピタンズのディンク・ペイト(Dink Pate)と高校生のネイト・エメント(Nate Ament)ともエンドースメント契約を締結させている。
中国勢
アンタ(ANTA)
エンドサー | 契約期間 | シグニチャーシューズ |
クレイ・トンプソン | 2014-26 | KT1(2015)~ |
ゴードン・ヘイワード | 2018 | GH(2020-) |
カイリー・アービング | 2023- | The ANTA KAI 1(2024) |
クレイ・トンプソン
2014年、アンタはクレイ・トンプソンをエンドーサーに迎えた。その直後、同選手はゴールデンステイト・ウォリアーズの大躍進の原動力として大ブレイクを果たした。そして、2017年に両者は$80M/10年で契約延長に合意した。
レイジョン・ロンド
2020年、レイジョン・ロンドとアンタの契約は満了を迎えた。一方、2019-20、NBAシーズンは新型コロナウィルスの影響で暫しの中止期間を経て10月まで延長していた。その結果、同選手はNBAプレーオフ時はスニーカーフリーエージェントとなっていたため様々なシューズを着用していた。
2010年代中盤、アンタはパフォーマスに問題を抱えていた。チャンドラー・パーソンズは5年契約を僅か1年弱で破棄した。クレイ・トンプソンもプレーオフにナイキシューズで臨んでいた。
リーニン(Li-Ning)
エンドサー | 契約期間 | シグニチャーシューズ |
CJ・マカラム | 2017- | Li-Ning CJ-1 Mid(2021) |
ディアンジェロ・ラッセル | 2019- | Way of Wade DLO ICE(2022) |
ジミー・バトラー | 2020- | JB1(2022) |
ウェイ・オブ・ウェイドの独立化
その後、2020年、両者は生涯契約を締結している。ウェイ・オブ・ウェイドの米国内販売も始まった。
2019年、同社はNBAプロスペクトのRJ・ハンプトンと5年契約を締結した。同選手は高校卒業直後で豪NBLのプレーすらしていなかった。
ピーク(Peak)
エンドサー | 契約期間 | シグニチャーシューズ |
ルー・ウィリアムス | 2015- | |
マシュー・デラベドバ | 2016- | PEAK DELLY 1(2017) |
アンドリュー・ウィギンス | 2020- | AW1(2023) |
ピークは米国から世界中の複数のスポーツ熱狂国に狙いをシフトさせた。同社は各国の代表スポンサーで認知度の獲得を狙っている。現在のエースエンドーサーもカナダのアンドリュー・ウィギンスだ。
リゴラー(Rigorer)
リゴラーは元CBA選手のチェンヨー・リン(Chenyao Lin)のバスケブランドだ。同社は2022年にオースティン・リーブスをエンドーサーに迎えた。2023年、シグニチャーシューズ「AR1」が発売された。
エックステップ(Xtep/特歩)
エックステップは五大中国スポーツメーカーの1社だ。同社は2019年にジェレミー・リンをエンドーサーに迎えてバスケットボール市場への本格進出を決めた。その後、2023年4月、マリーク・ビーズリーが現役NBA選手第一号となった。
スリーシックスティワン(361℃)
エンドサー | 契約期間 | シグニチャーシューズ |
アーロン・ゴードン | 2020- | AG1(2020-)~ |
スペンサー・ディンウィディ | 2021末- | DVD1(2023) |
ニコラ・ヨキッチ | 2023末- | the 361 Joker 1(2024) |
361℃はアーロン・ゴードンとスペンサー・ディンウィディをエンドーサーに抱えている。2023年12月、ニコラ・ヨキッチがエンドサーチームに加わった。ジョーカー1は2024年末に発売される。
その他
AND1: 完全衰退
- ダリル・メイコン(2018-?)
- ジェボン・カーター(2018-)
- フレッド・バンフリート(2019-20)
- ノーマン・パウエル(2021-)
2005年以降、AND1は複数のオーナー会社変更の中で辛うじてNBA選手をエンドーサーに迎えて細々とバスケットボールシューズ市場に留まり続けている。
ビッグ・ボーラー・ブランド(Big Baller Brand)
- 主なエンドサー/シグニチャー
ロンゾ・ボール(2017-19)
-ZO2(2017)
-ZO2 Prime(2017)
-Zo2.19(2018)
リアンジェロ・ボール
-G3 Lux(2019)
ラメロ・ボール
-MB1(2017) - 主な問題
「ZO2」販売中止
ロンゾ・ボールのシューズ起因の怪我頻発疑惑
共同創業者の横領
2016年、実業家ラバー・ボールはビッグ・ボーラー・ブランドを起ち上げた。当初、同ブランドは息子3名の活躍によって拡大されるはずだった。そして、2017年5月、初のバスケットボールシューズ「ZO2」は主に$495の強気の価格設定によって話題を呼んだ。同時期に超大物ラッパーのJay-Z、Quavo、カニエ・ウェストの瞬間的な協力やボール一家のリアリティショー放送もあった。そのため、ビジネスは順調に見えた。一方、トラブルが続出した。ロンゾ・ボールは低質なスニーカー起因の怪我に悩まされ、2019年に共同創業者の横領を機にエンドースメントを離れ、後に「BBBシューズはクォーター毎に壊れた」と耐久性の低さを吐露した。現在、ブランド自体は辛うじて存続している。オンコートシューズは無い。
Q4スポーツ(Q4 Sports)
- イトワン・ムーア(2017-)
-Q4 EM01~ - ラングストン・ギャロウェイ(-20)
-Q4 LG01~
2017-18、Q4スポーツはイトワン・ムーアを迎えてNBAデビューを果たした。その後、ラングストン・ギャロウェイもエンドースメントに加わった。
スケッチャーズ
2023年10月、スケッチャーズはジュリアス・ランドルとテレンス・マンをエンドサーに迎えてバスケットボールシューズ製造開始を宣言した。その後、ジョエル・エンビートが2024年4月にプレシーズンや練習での試作品の着用を経て公式にエンドースメント契約を結んだ。
HOLO
2024年、ホロフットウェアはアイザック・オコロをエンドサーに迎えた。同社は2020年創業のスタートアップだ。今後、シグニチャーシューズやアパレルが展開される。また、同選手はオーナーシップにも参加する。
オウンブランド
2018-19、スペンサー・ディンウィディは「K8iros」を起ち上げた。2020‐21、ラングストン・ギャロウェイはNBAファイナルの第1試合で「ETHICS LG 1」を着用した。
フロンティア: 女性アスリートのシグニチャーシューズ
ナイキ
- シグニチャーシューズ
エレーナ・デレ・ダン
-Nike Air Deldon (2022)
サブリナ・イオネスク
-Nike SABRINA 1(2023)
近年、ナイキは女性アスリートに注力している。実際、同社はWNBAに巨額の投資を行っている。また、2022年、エレーナ・デレ・ダンのシグニチャーシューズが約15年振りの女子バスケ選手のシグニチャーシューズとして製造された。その後、大人気選手サブリナ・イオネスクのシグニチャーシューズも発売されている。ジョーダンブランドは既に10名以上のWNBA選手を抱えている。
アディダス
- キャンデス・パーカー
-Exbit A(2021)
-Exbit B(2022)
一方、最初の一歩はアディダスだった。2021年、同社はWNBAキャンデス・パーカー監修の「イグジビット」シリーズの発売を一足早く始めた。2023年夏、WNBA&カレッジエンドサーのプレーヤーエディションやチームカラー版の発売される。
プーマ
- Breanna Stewart
-Stewie 1(2022)
プーマはブリアナ・ステュワートのシグニチャーシューズで女性アスリートシグニチャー開拓競争に参戦している。
アンダーアーマー
アンダーアーマーは2020年に米国最大手のスポーツ用品と手を組んで女性向けバスケットボールシューズ「UA HOVR Breakthru」を共同開発した。2023年、ケルシー・パルム(Kelsey Plum)がオールスターゲームで「Flow Breakthru 4」のPEを着用した。
リーボック
Putting my name on it. Spring 2026. @Reebok pic.twitter.com/nwfcWyKkTn
— Angel Reese (@Reese10Angel) October 24, 2024
リーボックは2023年にバスケットボールシューズ復帰に際してカレッジスターのエンジェル・リースをエンドサーに迎えた。一方、LSUはナイキのスポンサードを受けている。そのため、大学時代のオンコートの着用は見られなかった。その後、2024年、同選手はWNBAシカゴ・スカイに入団し、復帰後初のバスケットボールシューズ「エンジンA(Engine A)」がお披露目となり、夏には「リーボック・バイ・エンジェル」コレクションも発表された。そして、2024年10月、エンドースメント契約が更新された。2026年のシグニチャーシューズも予定されている。
リーボックは2021年に既にWNBA選手のレキシー・ブラウン(Lexie Brown)とエンドースメント契約を結んでいた。一方、当時、バスケットボールシューズラインは休止中だった。そのため、役割はあくまでもカジュアルウェアの広告塔に過ぎなかった。その後、2024年、同選手も「エンジンA(Engine A)」でWNBAのコートに立った。
HOLO
OFFICIAL: Dallas Wings pg Jacy Sheldon has signed a signature shoe deal with upstart brand HOLO. 📄✍️@JacySheldon’s multi-year deal includes annual pay, equity in the company & royalty % on sales of her HOLO signature shoe, expected to launch at start of 2025 WNBA season. pic.twitter.com/kJILRgPe5L
— Nick DePaula (@NickDePaula) August 7, 2024
2024年、新ブランドのホロはWNBAルーキーのジェイシー・シェルドンとシグニチャーシューズ契約を結んだ。
オススメ映像作品&書籍
必修: バスケットボールシューズ関連
「Sole Man」
「Sole Man」はサニー・ヴァッキャーロのドキュメンタリー映画だ。エアジョーダンの前後の話も盛り込まれている。同作品は「ESPN+」や「TSN」で視聴可能だ。日本語訳は無い。
Eastbay Archive(インスタグラムアカウント)
イーストベイは1980~2023年運営のスポーツ関連商品の通信販売カタログだ。Eastbay Archieveは過去のカタログを紹介している。
「UNTOLD: AND1旋風と夢の(2022)」
準必須: スニーカー関連
シューライフ
「シューライフ」は日本のスニーカー文化の旗印「アトモス(atmos)」創業者の本明秀文氏の自伝だ。前インターネット時代の情報は中々残っていない。そんな中、同著は米国と日本のスニーカーシーンについて生き字引自らの言葉によってまとめられている。
「ジャスト・フォー・キックス(2005)」
「ジャスト・フォー・キックス(Just For Kicks)」はスニーカーカルチャーのドキュメンタリー映画だ。生き字引達が1970~2000年代のスニーカー文化の変遷について語っている。一方、2023年9月現在、アクセスは困難だ。同作品は日本では映像配信もDVDレンタル(ツタヤ&ゲオ)もされていない。最も安価な視聴方法はレンタル落ちDVDの購入だ。
補足: スニーカー文化の間接的な描写
「ダーティー・ダンシング(1987)」
大ヒット映画「ダーティー・ダンシング(1987年)」は1960~80年代の米国の姿を映し出している。同作品は1980年代製作の1960年代舞台の映画だ。そのため、1970年代の雰囲気も入り混じっている。そして、最大の注目点はヒロインのケッズシューズ着用だ。その後、売上は映画の効果で10倍になったようだ。
「ドゥ・ザ・ライト・ツィング(1989)」
代表作「Do the Right Thing(1989)」はアフリカ系アメリカ人の非常に狭い世界を巧みに描いている。
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参考
前スニーカーブーム時代
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