※2020-21シーズン=イレギュラースケジュール(コロナ禍)
基本情報
- 名称: University of Kentucky
- 愛称: Wildcats/UK
- 所属: Southeastern Conference
- 成績
2024-25: 24勝12敗(10勝8敗)スウィート16
近年の話: ジョン・カリパリ時代終了
- HC交代(2024)
HCマーク・ポープ(2024-)
HCジョン・カリパリ(2009-24)→アーカンソー大学
ロスター(2024-25) |
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ブランドン・ギャリソン(Brandon Garrison) ★4 オクラホマステイト大学(2023-24) トップ編入生(2024) ケンタッキー大学(2024-) |
オテガ・オウェ(Otega Owe) ★4 オクラホマ大学(2022-24) トップ編入生(2024) ケンタッキー大学(2024-) |
ジャクソン・ロビンソン(Jaxson Robinson) テキサスA&M大学(2020-21) アーカンソー大学(2021-22) ブリガム・ヤング大学(2022-24) NBAドラフトコンバイン参加(2024) NBAドラフトアーリーエントリー撤回(2024) トップ編入生(2024) ケンタッキー大学(2024-) |
ラマント・バトラーJr(Lamont Butler Jr) サンディエゴステイト大学(2020-24) NBAドラフトアーリーエントリー撤回(2024) 上位編入生(2024) ケンタッキー大学(2024-) |
アンドリュー・カー(Andrew Carr) デラウェア大学(2020-22) ウェイク・フォレスト大学(2022-24) NBAドラフトアーリーエントリー撤回(2024) 上位編入生(2024) ケンタッキー大学(2024-) |
アマリ・ウィリアムス(Amari Williams) ドレクセル大学(2020-24) NBAドラフトアーリーエントリー撤回(2024) 上位編入生(2024) ケンタッキー大学(2024-) |
コービー・ブレア(Koby Brea) デイトン大学(2020-24) NBAドラフトアーリーエントリー撤回(2024) 上位編入生(2024) ケンタッキー大学(2024-) |
カー・クリイサ(Kerr Kriisa) ★4/リトアニア出身 アリゾナ大学(2020-23) ウェストバージニア大学(2023-24) 上位編入生(2024) ケンタッキー大学(2024-) |
トラビス・ペリー(Travis Perry) ★4 ケンタッキー大学(2024-) |
コリン・チャンドラー(Collin Chandler) ケンタッキー大学(2024-) |
退部(2024) |
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ジャスティン・エドワーズ(Justin Edwards)→NBAドラフトアーリーエントリー |
ロバート・ディリンガム(Rob Dillingham)→NBAドラフトアーリーエントリー |
リード・シェパード(Reed Sheppard)→NBAドラフトアーリーエントリー |
アントニオ・リーブス(Antonio Reeves)→選手資格満了 |
トレイ・ミッチェル(Tre Mitchell)→選手資格満了 |
ウゴ・オニェンソ(Ugonna Onyenso)→カンザスステイト大学 |
アーロン・ブラッドショウ(Aaron Bradshaw)→オハイオステイト大学 |
DJ・ワーグナー(DJ Wagner)→アーカンソー大学 |
ズボニミール・イビシッチ(Zvonimir Ivisic)→アーカンソー大学 |
2024年4月、不動の長期政権が突如として崩壊した。2023-24、ケンタッキー大学は久しぶりに全盛期級のNBAプロスペクト軍団の結成に成功して好成績を残しながら、NCAAトーナメント1回戦でオークランド大学にまさかのアップセットを喰らい、結果的に下位ラウンド敗退記録を5大会連続に伸ばし、失意のままにシーズンを終えた。そして、矛先が指揮官に向けられた。一方、ADミッチ・バーンハート(Mitch Barnhart)は動く素振りを見せなかった。そのため、去就問題は沈下に向かっていた。そんな中、HCジョン・カリパリのアーカンソー大学内定の噂が飛び込んだ。後日、噂は事実として明らかになった。そして、急ピッチの後任探しの末、元ケンタッキー大学選手&ブリガム・ヤング大学HCのマーク・ポープ(mark Pope)が迎えられた。ロスターは9名の編入生を中心に固められた。
サウスイースタン・カンファレンス(SEC)
- 名称: Southeastern Conference
- 愛称: SEC
- 設立: 1932年
- 所属: 16校
- 放送: ESPN
- HP: https://www.secsports.com/
イースト・ディビジョン
所属校(大まかな所在地) |
ケンタッキー大学(ケンタッキー州レキシントン)は1940年代からカレッジフープス界の頂点に君臨し続けている。 |
テネシー大学は名将リック・バーンズが率いている。 |
フロリダ大学は2024年にHCビリー・ドノバン時代のNCAAトーナメント連覇以来のNCAAトーナメント制覇を果たした。 |
バンダ―ビルト大学(テネシー州ナッシュビル)は最初の大学バスケの試合を行った。 |
ジョージア大学は地元出身のアンソニー・エドワーズを輩出した。 |
ミズーリ大学はマイケル・ポーターJrがプレーしていた。 |
サウスカロライナ大学(コロンビア)は1960~70年代のHCフランク・マクガイア時代にバスケ校になりかけた。 |
ウェスト・ディビジョン
所属校(大まかな所在地) |
オーバーン大学(アラバマ州)はチャールズ・バークリーを輩出している。 |
ルイジアナステイト大学(ルイジアナ州バトンルージュ)はシャックとベン・シモンズの母校だ。 |
アーカンソー大学は1994年に黒人HCノーラン・リチャードソンに導かれてNCAAトーナメント制覇を達成した。 |
アラバマ大学はフットボール校ながら1960年代後半にバスケットボールへの注力を始め、約半世紀のスウィート16止まりや地味なNBA選手輩出の逡巡を経て、2024年に遂にファイナル4進出を果たした。 |
テキサスA&M大学はディアンドレ・ジョーダンやアレックス・カルーソの母校だ。 |
ミシシッピ大学はオールミス(Ole Miss)と呼ばれている。 |
ミシシッピステイト大学は1996年にエリック・ダンピアを擁してファイナル4に進出した。 |
不明(2024年加盟)
オクラホマ大学(オクラホマシティ)は計5回のファイナル4進出を誇る。地元出身のブレイク・グリフィンとトレイ・ヤングも通っていた。 |
テキサス大学(オースティン)はケビン・デュラントの母校として有名だ。近年はジャクソン・ヘイズ、モー・バンバ、ジャレット・アレン、マイルズ・ターナー、グレッグ・ブラウンがワン&ダンで通過していった。 |
サウスイースト・カンファレンス(SEC)は南部各州の代表的な大学を擁している。創設のきっかけは1932年のサザン・カンファレンス13校の離反だ。以降、熾烈なフットボール競争が繰り広げられている。一方、男子バスケ部への注力はまちまちである。ケンタッキー大学以外はフットボール校だ。成績も好調と不調のシーズンの繰り返しになりがちである。2024年にテキサス大学とオクラホマ大学が加入した。
チーム史
アドルフ・ラップ時代(1930-72): ケンタッキー大学の父
- NCAAトーナメント優勝×4(1948、49、51、58)
- NIT優勝(1946)
- NCAAトーナメント準優勝(1966)
- NIT準優勝(1947)
- ファイナル4(1942)
- NIT3位(1944)
- NBA選手輩出
スキッピー・ウィテカー(1948-52): 1952年下位指名
フランク・ラムジー(1949-54): 1953年1巡目5位指名
クリフ・ヘイガン(1949-54): 1953年下位指名
ルー・シオロポラス(1949-54): 1953年下位指名
ダン・スワーツ(1951-52): 1956年下位指名
ボブ・ブーロウ(1954-56): 1956年2巡目8位指名
ジェリー・バード(1952-56): 1956年下位指名
ケンタッキー大学始動!!
正統派のコーチングツリー@カンザス大学
初代HCジェームス・ネイスミス博士: バスケの生みの親
↓師弟
第2代HCフォグ・アレン: コーチングの父
↓師弟
アドルフ・ラップ: ケンタッキー大学の名門化
ディーン・スミス: UNCの名門化
1930年、バスケ超正統派のアドルフ・ラップ(Adolp Rupp)がHCに就任した。
ポストシーズントーナメント常連校(1942-51)
- 1941-42: NCAAトーナメントファイナル4
- 1943-44: NIT3位
- 1945-46: NIT優勝
- 1946-47: NIT準優勝
- 1947-48: NCAAトーナメント優勝
- 1948-49: NCAAトーナメント優勝(2連覇)
- 1950-51: NCAAトーナメント優勝
先行者利益
1940年代、アドルフ・ラップはどこよりもポストシーズントーナメント制覇に燃えていた。当時、バスケットボールは先進的な東海岸の大学が取り組み始めたばかりだった。そんな中、ケンタッキー大学は南部の大学ながら、いち早くバスケットボールに力を入れ始め、あっという間に全米屈指の強豪となった。
ファビュラス・ファイブ(Fablous Five)
ファビュラス・ファイブはアレックス・グローザ、ラルフ・ビアード(NBA 1stチーム)、ウォーレス・ジョーンズ、クリフ・バーカー、ケニー・ローリンズのニックネームだ。同5名は1947-48にNCAAトーナメントを制し、数か月にオリンピックで金メダルを獲得した。

翌1948-49、ファビュラス・ファイブはケニー・ローリンズ以外の4名でNCAAトーナメント2連覇も果たしている。
数々のスキャンダル(1951)
1951年、いくつものスキャンダルが発覚した。まず、選手数名がギャンブラーと結託して八百長を働いていた。しかも、その後のNCAAの調査の結果、選手への金銭譲渡や無資格選手の起用も発覚した。そのため、NCAAはケンタッキー大学に1952-53の活動休止を言い渡した。その後、アレックス・グローザとラルフ・ビアードは1950-51のNBA 1stチームながらNBAから永久追放され、その他3名も2シーズン以内に引退している。
再スタート(1953-54)
- クリフ・ヘイゲン(1949-54): コンセンサス・オールアメリカン1st
- フランク・ラムジー(1949-54): コンセンサス・オールアメリカン2nd
- ルー・シオロポラス(1949-54)
1953-54、ケンタッキー大学はクリフ・ヘイゲンとフランク・ラムジーとの大学院生トリオの活躍で25勝0敗でNCAAトーナメントの招待も受けた。一方、当時、NCAAは大学院生のポストシーズントーナメントの出場を禁じていた。そのため、HCアドルフ・ラップはNCAAトーナメント出場を辞退した。

当時、元来の大学卒業年以降の選手はNBAドラフトで指名可能になっていた。そのため、レッドシャツや空白期間や入学遅れの選手は選手資格を残しながら指名を受けている。一部の選手は元来の大学卒業年と実際のカレッジキャリア終了年で計2回のドラフト指名を受けている。
低迷期
- ジェリー・バード(1952?-56): 1956年下位指名
- ボブ・ブーロウ(1954-56): 1956年2巡目8位指名
ケンタッキー大学は頑なな黒人選手拒否によって低迷していた。1960年代、カレッジバスケットボールは公民権運動の影響を大きく受けた。1963年にはロヨラ大学(シカゴ)が「黒人選手の複数名同時起用禁止」や「ロスターの黒人選手3名制限」等の暗黙の了解を無視してNCAAトーナメント優勝を果たし、西海岸のサンフランシスコ大学やUCLAやロングビーチステイト大学がブラックパワーで勢力を伸ばしていた。

黒人選手への拒否反応はアドルフ・ラップだけではない。NBA7番目の黒人選手ボブ・ウィリアムスは1955年にアドルフ・ラップの勧誘を受けながらケンタッキー大学理事に入学を認められなかった。その後、同氏は1955-56にミネアポリス・レイカーズ初の黒人選手となった。
黒人選手のリクルート開始(1968-69)
- ダン・イッセル(1966-70): 1970年下位指名
そして、1965-66、決定的な出来事が起きた。全員白人のケンタッキー大学はNCAAトーナメント決勝でスターター5名全員黒人のテキサスウェスタン大学(現テキサス大学エルパッソ校)に敗れたのだ。1969年、アドルフ・ラップはケンタッキー州ルイビル出身のトム・ペイン(Tom Payne)を初の黒人選手としてリクルートした。
ジョー・ホール時代(1972-85): 過小評価のレジェンド
- NCAAトーナメント優勝(1978)
- NCAAトーナメント準優勝(1975)
- ファイナル4(1984)
ザ・スーパー・キッテンズ(1972-75)
- ケビン・グリービー(1971-75): 1975年1巡目18位指名
- ジミー・ダン・コナー(1971-75): 1975年下位指名*
- ボブ・ガイエット(1971-75): 1975年下位指名*
- マイク・フリン(1971-75): 1975年下位指名
ACジョー・ホール(Joe B. Hall)が後任となった。その後、1974-75、最後のアドルフ・ラップ世代が徐々に頭角を現した。開幕3戦目のインディアナ大学戦大敗以降、ケンタッキー大学は結束を固め、AP通信評のランク外から2位に浮上し、NCAAトーナメントではエリート8で優勝候補のインディアナ大学に雪辱を果たし、決勝戦まで駒を進めた。一方、決勝戦の相手は絶対王者UCLAだった。しかも、HCジョン・ウッデンは今季限りの引退を表明していた。優勝への気持ちは一層高かった。その結果、恩師への全米1位はお預けとなった。
祝福の無いシーズン(1977-78)
- ジャック・ギブンス(1974-78): 1978年1巡目16位指名/永久欠番#21/日本でプレー
- リック・ロービー(1974-78): 1978年1巡目3位指名/永久欠番#53
- ジェームス・リー(1974-78): 1978年下位指名*
- マイク・フィリップス(1974-78): 1978年下位指名*
- カイル・メイシー(1976-80): 1980年1巡目22位指名
- チャック・アレクシナス(1977-79): 1982年下位指名
1977-78は「一切祝福の無いシーズン(A Season Without Celebration)」とジョー・ホールに回想されている。主力の四年生達は1年次に準優勝を経験している。カイル・メイシー(パデュー大学からの編入生)もレッドシャツを明けた。成熟度と経験は十分だった。つまり、優勝以外は許されなかった。そして、ケンタッキー大学はAP通信で開幕前と2月2週分を除いて全て1位の独走を見せ、NCAAトーナメント本戦では最大の山場のミシガンステイト大学戦でマジック・ジョンソンを僅か6得点に抑え、決勝戦でデューク大学を退けて無事に優勝を果たした。
悲しきツインタワー(1983-84)
- サム・ブーイ(1979-84)
1984年1巡目2位指名
コンセンサス・オールアメリカン2nd(1981)
永久欠番#31 - メルビン・ターピン(1980-84)
1984年1巡目6位指名
コンセンサス・オールアメリカン2nd(1984) - ジム・マスター(1980-84): 1984年下位指名*
- ケニー・ウォーカー(1982-86)
1986年1巡目5位指名
永久欠番#34
コンセンサス・オールアメリカン1st(1986)
コンセンサス・オールアメリカン2nd(1985) - ウィンストン・ベネット(1983-88): 1988年下位指名
1983-84、ケンタッキー大学はサム・ブーイとメルビン・ターピンのツインタワー+ケニー・ウォーカーでファイナル4回帰に成功した。その後、両者は1984年のNBAドラフトで高順位で指名されている。そして、翌1985年、ジョー・ホールは早期に引退を表明した。

ジョン・カリパリや地元紙記者は「今日のケンタッキー大学男子バスケ部はジョー・ホールから始まった」と評している。理由は積極的な黒人選手のリクルートだ。プログラム史上初の黒人アシスタント採用も行われている。
リック・ピティーノ時代(1989-97): 天才降臨!!
- 優勝(1996)
- 準優勝(1997)
- ファイナル4(1993)
The Unforgettables(1989-92): 地元出身の4名
- リッチー・ファーマー(Richie Farmer): 2004~12年共和党員
- ジョン・ペルフレイ(John Pelphrey): 現テネシー工科大学HC
- ショーン・ウッズ(Sean Woods): 現サザン大学HC
- デロン・フェルドハウス: 日本でプレー
天才降臨!!
1989年、リック・ピティーノ(Rick Pitino)がHCに就任した。ピティーノは1976年からシラキュース大学で指揮を執るジム・ベーハイム(Jim Boeheim)を師に持ち、20代中盤でボストン大学HCに就任して同チームを24年振りのNCAAトーナメントに導き、その後転任したプロビデンス大学でファイナル4進出を成し遂げた次世代を担う天才だった。
死刑宣告(1989-91)
一方、ケンタッキー大学は前任者エディ・サットン(Eddie Sutton)時代の数々の不正によってNCAAから最も重い処罰(1989-91ポストシーズントーナメント出場停止等)を受けた。

同制裁は最も重い処罰のため死刑(Death Penalty)と呼ばれている。
忘れられない理由1: 地元愛
一般論として選手は制裁中の大学から転校する。そんな中、地元出身の4名”ジ・アンフォアゲッタブルス(The Unforgettables)”はチーム残留を選んだ。そして、1991-92、ケンタッキー大学はフルコートプレスを武器にNCAAトーナメント出場を果たし、本戦も勝ち上がり、デューク大学の待つ準々決勝へと駒を進めた。
忘れられない理由2: 衝撃の結末
しかし、 延長戦残り2秒、ショーン・ウッズが値千金のランナーを決めて103-102とリードを奪ったものの、その後にクリスチャン・レイトナーにベースラインからのベースボールパスをキャッチしてターンアラウンドジャンパーをブザービーターで沈められ、ジ・アンフォアゲッタブルスのシーズンは終幕を迎えた。以来、ケンタッキー大学ファンは”I Still Hate Laettner”のTシャツを着るようになった。
AP1位と第1シード奪還!!(1992-93)
1992-93、晴れて卒業を迎えたアンフォアゲッタブルスに代わってチームのエースとなったのがジャマール・ウォッシュバーンだった。コンセンサス・オール-アメリカンの1stチームに選ばれる活躍を見せたウォッシュバーンに導かれたワイルドキャッツは、シーズン中盤に1987-88以来となるAP1位に輝き、南東地区第1シードでNCAAトーナメント優勝に臨んだ。
ローマ帝国(1995-97)
- アントニー・ウォーカー(1996年1巡目6位)
- トニー・デレク(1996年1巡目16位)
- ウォルター・マキャティー(1996年1巡目19位)
- ロン・マーサー(1995-97)
-ネイスミス最優秀選手賞(1995)
-コンセンサス・オールアメリカン1st(1996-97)
-全体6位 - デレク・アンダーソン(1997年1巡目13位)
- ロドリック・ローズ(1997年1巡目24位)
- ナジー・モハメッド(1998年1巡目29位)
ローマ帝国誕生
1995-96、ケンタッキー大学は豪勢なロスターから開幕前AP1位に評されたものの、開幕2戦目でマサチューセッツ大学(HCジョン・カリパリとマーカス・キャンビー)に自慢の攻撃力を完璧にシャットダウンされ、その後に25連勝でシーズンを駆け抜けたにもかかわらず、最終週AP2位の屈辱を受けた。そして、1~4回戦の快勝の末、準決勝、対戦相手は因縁のマサチューセッツ大学だった。案の定、試合はフルコートプレス合戦&退場者続出の激闘となった。そんな中、最後のタイムアウトが勝敗を決めた。リック・ピティーノのパスでのプレス突破案を選手達が見事に遂行したのだ。翌々日、ローマ帝国軍は決勝戦でシラキュース大学を破って18年振りの優勝を果たした。
2連覇の壁
1996-97、ケンタッキー大学は唯一の残存勢力デレク・アンダーソンとロン・マーサーが下級生達を導き、NCAAトーナメントでは準々決勝でユタ大学、準決勝でミネソタ大学と次々とニューカーマ―の夢を砕き、2連覇まであと1勝となったものの、アリゾナ大学とルート・オルソン(Lute Olson)に初優勝を譲ってしまった。その後、リック・ピティーノはNBAボストン・セルティックスのHCとなった。
トゥビー・スミス時代(1997-2007): 一応、優勝はしたが…
- NCAAトーナメント優勝(1998)
恐慌シーズンを物に!!(1997-98)
- アリゾナ大学: ジェイソン・テリーとマイク・ビビー
- ノースカロライナ大学: ビンス・カーターとアントワン・ジェイミソン
- デューク大学: エルトン・ブランドとシェーン・バティエ
- カンザス大学: ポール・ピアースとリーフ・ラフレンツ(1998年1巡目3位)
1997年、トゥビー・スミス(Tubby Smith)がリック・ピティーノの後釜を引き受けた。当時、ケンタッキー大学はあまりに質素なロスターだったものの、幸運なことに1997-98はどこのチームもイマイチだったため、楽々とSECを制覇してNCAAトーナメント出場を果たし、本戦では仮想敵のカンザス大学、アリゾナ大学、ノースカロライナ大学が全員姿を消していたこともあってか、エリート8のデューク大学戦以外は余裕の勝利に終わり、結果的に超特大のプレッシャーを背負いながら初陣でまさかの優勝を果たした。

翌1998-99は優勝メンバーが最上級生となって期待されたもののエリート8に終わった。
地味ロスターの挑戦(1999-2004)
- ティショーン・プリンス(1998-2002)
- キース・ボーガンズ(1999-2003)
- マービン・ストーン(1999-2002)
2000年、ジャマール・マグロワの旅立ち後、ロスターは一層地味になった。そして、2002-03、ケンタッキー大学はSECをリーグ戦とカンファレンストーナメントを19勝0敗で終え、最終週AP1位を獲得したものの、ドゥウェイン・ウェイド(マーケット大学)にトリプルダブルの活躍を許してエリート8に終わり、翌2003-04はシーズン中盤以降に勝ち星を重ねて最終週AP2位に至ったものの、2回戦でアラバマ大学バーミンガム校にアップセットされてしまった。
再びタレント重視に(2004-07)
- ラジョン・ロンド(2004-06)
- ランドルフ・モリス(2004-07)
- ジョー・クロフォード(2004-08)
そのため、2004-05、トゥビー・スミスはマクドナルド・オール-アメリカン3名を加入させ、レイジョン・ロンドの活躍によってエリート8進出を果たしたものの、ケンタッキー大学の「ファイナル4以上」と「NBA選手輩出」のレベルには至っていなかったため、お役御免となった。

ランドルフ・モリスは1週間内にカレッジとNBAの試合出場の稀有な経歴の持ち主だ。当時、カレッジアスリートはNBAドラフト指名漏れの場合に大学に引き返せた。一方、NBAドラフトエントリー経験者はNBAフリーエージェントの扱いだった。そして、同選手は2005年のNBAドラフトエントリー後、2005-06にケンタッキー大学に戻り、2006-07途中に退部してニューヨーク・ニックスと契約し、NBAデビューを果たした。
ジョン・カリパリ時代(2009-): NBAスター量産工場
- NCAAトーナメント優勝(2012)
- NCAAトーナメント準優勝(2014)
- ファイナル4×2(2011、15)
有言実行(2009-10)
- ジョン・ウォール
- デマーカス・カズンズ
- エリック・ブレッドソー
- ダニエル・オートン(2010年1巡目29位)
- Jon Hood(トップ100)
2009年、HC就任時、ジョン・カリパリは「俺はベストオブベストをリクルートするためにここに来た」と発言し、程なくして極悪ロスターを揃えた。2009-10、ケンタッキー大学は開幕19連勝を達成し、SECのレギュラーシーズンとカンファレンストーナメント両方を制覇し、32勝2敗でNCAAトーナメント出場を果たし、準々決勝では不運にもことごとくシュートが外れてウェストバージニア大学に敗れたものの、1~3回戦を全て15点以上の差をつけてエリート8まで勝ち進んだ。
置き土産(2010-11)
- ジョシュ・ハレルソン(2008-11/2巡目45位)
- ディアンドレ・リギンズ(2008-11/2巡目53位)
- ダリアス・ミラー(2008-12/2巡目46位)
- ブランドン・ナイト(2010-11/1巡目8位)
- テレンス・ジョーンズ(2010-12/1巡目18位)
- ドロン・ラム(2010-12/2巡目42位)
2010年、昨季の選手が次々とワン&ダンでキャンパスを後にする中、僅か2シーズンで解雇された前任者ビリー・ギリスピー(Billy Gillispie)のリクルートが大学に残った。2010-11、ジョン・カリパリはの上級生の比率の高いチームで前シーズンよりも上のファイナル4進出を果たした。
カリパリを優勝させた男(2011-12)
- アンソニー・デイビス(2011-12/1巡目1位)
- マイケル・キッド-ギルクリスト(2011-12/1巡目2位)
- マーキス・ティーグ(2011-12/1巡目29位)
アンチの言い分
ジョン・カリパリは手段を選ばないタイプのためにアンチも多い。特に優勝経験無しは格好の狙い所だ。そんな中、2011-12、ケンタッキー大学は、SECのカンファレンストーナメント優勝こそ掴み損ねたものの、32勝2敗でレギュラーシーズンを終え、NCAAトーナメント本戦も順当に勝ち進み、決勝戦にたどり着いた。そして、決勝戦、対戦相手はカンザス大学は私怨の相手だった。
私怨
ジョン・カリパリはビル・セルフ&カンザス大学に私怨を持っている。2008年のNCAAトーナメント決勝、メンフィス大学はデリック・ローズの上からマリオ・チャルマースに同点スリーを決められた末、延長戦でカンザス大学の前に屈した。
新のスーパースター
そして、決勝戦、アンソニー・デイビスがジョン・カリパリを男にした。同選手は徹底マークでFG1/10の6得点に抑えられるも、逆に6ブロックと16リバウンドで相手のゴール前に立ちはだかり、カンザス大学を抑え返した。その結果、ケンタッキー大学は終始リードしたままディフェンス勝ちで優勝を決めた。
1位→ランク外→準優勝(2013-14)
- ジュリアス・ランドル(2013-14/1巡目6位)
- ジェームス・ヤング(2013-14/1巡目17位)
- アンドリュー・ハリソン(2013-15/2巡目44位)
- アーロン・ハリソン(2013-15/ドラフト外)
- ダカリ・ジョンソン(2013-15/2巡目48位)
- マーカス・リー(2013-16/ドラフト外)
2013-14は奇妙なシーズンだった。ケンタッキー大学はマクドナルド・オール-アメリカン6名の入学しで開幕前はAP通信で1位と評されたものの、頻繁に試合を取りこぼし、最終的にランク外にまで落ちてしまった。そんな中、同校は本戦で本領を発揮し、2回戦でシンデレラチームのウィチタステイト大学の魔法を解き、3回戦で同州ライバルのルイビル大学を破り、その後もミシガン大学とウィスコンシン大学のB1G校を2タテし、自らが”シンデレラチーム”になってしまった。一方、決勝戦、対戦相手も東地区第7シードのコネチカット大学だった。そして、シンデレラ対決の結果、勝利の女神はシャバズ・ネイピアの活躍によって対戦相手に微笑んだ。
プログラム史上最強38勝1敗(2014-15)
- カール・アンソニー-タウンズ(2014-15)
- デビン・ブッカー(2014-15)
- トレイ・ライルズ(2014-15)
- タイラー・ウリス(2014-16)
- ウィリー・コーリー-スタイン(2012-15)
2014-15、同大史上最強のロスターが完成した。案の定、ケンタッキー大学は強く、NCAAトーナメントまで34勝0敗で終え、AP通信評で常に1位を獲得し、NCAAトーナメント3回戦ではウェストバージニア大学を78-39のダブルスコアで蹴散らし、準々決勝で古豪ノートルダム大学にも競り勝ち、ファイナル4に進出したものの、最優秀選手賞のフランク・カミンスキーに前年度のリベンジを果たされ、無敗神話は最終回(決勝戦)目前に打ち切りとなった。
成熟期(2015-19)
- 2016年高卒組
ジャマール・マリー(2015-16): 2016年1巡目7位指名
スカル・バズリアー(2015-16): 2016年1巡目28位指名 - 2016年高卒組
ディアロン・フォックス(2016-17): 2017年1巡目5位指名
マリーク・モンク(2016-17): 2017年1巡目11位指名
バム・アデバヨ(2016-17): 2017年1巡目14位指名 - 2017年高卒組
シェイ・ギルジャス-アレクサンダー(2017-18): 2018年1巡目11位指名
ケビン・ノックス(2017-18): 2018年1巡目9位指名
PJ・ワシントン(2017-19): 2019年1巡目12位指名 - 2018年高卒組
タイラー・ヒーロー(2018-19): 2019年1巡目13位指名
ケルドン・ジョンソン(2018-19): 2019年1巡目29位指名 - +ファイブスターリクルートや2巡目指名選手多数
ワン&ダンの限界(2021-)
- NBA輩出(2022)
タイタイ・ワシントンJr(2021-22)
シェイドン・シャープ(2022): 公式戦出場無し - 不幸
アップセット被害(2021-22)
テレンス・クラーク死去(2021年)
過去最低成績(2020-21)
2021-22、HCジョン・カリパリは、前2020‐21の過去最低成績の反省からか、オスカー・シブエ(WVU)、キーラン・グレイディ(デビッドソン大学)、サビア・ウィラー(ジョージア大学)、デイビオン・ミンツ(クレイトン大学)と上級生の編入で経験豊富なチームを編成したものの、NCAAトーナメント1回戦でセントピーターズ大学に大番狂わせを喰らってシーズンを終えた。そして、2022-23、単純に影が薄かった。

シェイドン・シャープは2021年10月に当初の2022年5月の高校卒業予定を早め、2022年1月の春学期からケンタッキー大学に入学したものの、結局はレッドシャツのままシーズン終了を迎え、NBAドラフトにエントリーした。当人は「2022年5月30日に19歳」&「高校卒業後にNBAの1シーズンが経過」のため2022年NBAドラフトへのエントリーが可能だ。
退部(2023) |
ケイソン・ウォレス(2022-23)→NBAドラフトEE |
クリス・リビングストン(2022-23)→NBAドラフトEE |
オスカー・シブエ(2021-23)→NBAドラフトEE |
ジェイコブ・トッピン(2020-23)→NBAドラフトEE |
デイミオン・コリンズ(2021-23)→LSU |
ランス・ウェア(2020-23)→ビラノバ大学 |
CJ・フレドリック(2021-23)→シンシナティ大学 |
サウビア・ウィラー(2021-23)→ワシントン大学 |
ジェットコースターシーズン(2023-24)
- アントニオ・リーブス(2022-24): 2024年2巡目47位指名
- ジャスティン・エドワーズ(2023-24): 2024年ドラフト外
- ロバート・ディリンガム(2023-24): 2024年1巡目8位指名
- リード・シェパード(2023-24): 2024年1巡目3位指名
2023-24、ケンタッキー大学は久しぶりに全盛期級のNBAプロスペクト軍団結成に成功して好成績を残しながら、NCAAトーナメント1回戦でオークランド大学にまさかのアップセットを喰らい、結果的に下位ラウンド敗退記録を5大会連続に伸ばしてシーズンを終えた。当然、矛先は指揮官に向けられた。一方、ADミッチ・バーンハート(Mitch Barnhart)は動く素振りを見せなかった。そのため、去就問題は日を追うごとに沈下に向かっていた。そんな中、HCジョン・カリパリのアーカンソー大学内定の噂が飛び込んだ。その後、噂は事実と明らかになった。
現地観戦
アクセス
レキシントン(ケンタッキー州)
- 規模: カレッジタウン(大)
- 標準時/時差: 東部標準時/-14時間
- アクセス: 飛行機/長距離バス
- 公共交通機関: ローカルバス
- 気温(11~3月): 15/0℃
- 観光: 競馬/バーボン/ソフトクリーム
ケンタッキー大学はケンタッキー州の中央にある。シンシナティとルイビルが近い。アクセスは飛行機と長距離バスで可能だ。ダウンタウンは結構栄えている。近くにはシンシナティとルイビルがある。
ホームアリーナ
- 施設: Rapp Arena

ラップ・アリーナの名称変更案は度々上がっている。HCアドルフ・ラップが人種差別主義者だったからだ。2020年1月、ケンタッキー大学の学長は施設の名称継続を発表しているものの、同年7月にケンタッキー大学のアフリカ系アメリカ人団体らが学長にラップ・アリーナ及びキャンパス内で人種差別主義者の名を冠した施設の名称変更を要求した。
チケット
強豪校のチケットはオンライン購入で良いだろう。チケット売り場はやや混み合う。英語のやり取りも必要だ。チケット価格は強豪校同士の試合でも定価だ。満席率は概ね60~70%程度である。例外的なチケットの高騰や売切れは伝統の一戦やスーパースター選手出場試合だけだ。
グッズ
直営店
- NCAAショップ*
- カンファレンスストア*
- ブックストア: 教科書+アパレル+日用品+土産の雑貨屋
- チームストア(アリーナ/スタジアム併設): 品揃え△
NCAAショップとカンファレンスストアは申し訳程度にオンラインストアを構えている。そして、唯一のオススメはメインのブックストアだ。米国の大学生は基本的に寮やキャンパス付近で生活している。そのため、生活必需品全般がカレッジロゴや名前入りで売られている。立地はキャンパス内or付近にある。サブのブックストアやチームストアは品揃え的に微妙だ。
専門オンラインサイト: ファナティクス系列
ファナティクス社は世界中のスポーツチームのグッズ販売の裏方企業だ。実際、NCAAショップ+カンファレンスストア+チームストアはファナティクス式の設計になっている。一方、同社は世界各エリア向けの自社サイトでそれぞれのエリアの人気スポーツリーグのグッズを販売している。そして、北米系サイトは全NCAA D1校のグッズを取り扱っている。
一般小売店
- スポーツ用品店
Dick’s Sporting Goods - デパート
Macy’s
Nordstorm - ファンショップ
最大手ディックズ・スポーティンググッズは「地元プロチーム」「同州の代表的な大学」「最寄り大学」のアパレルを置いている。狙い目は型落ち品のセールだ。大手デパートチェーン4社はファングッズ/アスレティックアパレルコーナーでカレッジグッズを売っている。ファンショップは全米の人気校のグッズを置いている。
選手個人サイト/SNSアカウント
NILグッズは選手個人のホームページやSNSアカウント等でも売られている。
補足情報
「The Rivalry: Red V. Blue(2013)」
「The Rivalry: Red V. Blue(2013)」は州内ライバルのケンタッキー大学とルイビル大学の男子バスケ部のドキュメンタリー作品だ。
「グローリー・ロード(2007)」
映画「グローリー・ロード(2007)」は1965-66のスターター5名全員黒人のテキサスウェスタン大学の激闘を描いている。クライマックスは全員白人のケンタッキー大学だ。レンタル落ちDVDは100円以下で売られている。

アパレルはNBAグッズに限ず基本的に初回生産のみだ。アパレル業界は商品の売れ残りを恐れている。そのため、新商品は初回生産(少)&追加生産(無)のリスク回避全振りで作られる。しかも、工場の製造ラインは常に予約で埋まっている。そのため、急な確保が難しい。その結果、人気品すらも滅多に追加生産されない。つまり、河村勇輝選手のグッズはほぼほぼ現品限りだ。
関連記事
リムサウスエリア
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シンシナティ(オハイオ州)
- NCAA D1(強豪): シンシナティ大学
- NCAA D1(強豪): ゼイビア大学
- NCAA D1(中堅): ノーザンケンタッキー大学
- NCAA D1(中堅): マイアミ大学
マイラン(インディアナ州)
- マイラン高校+博物館: 1954年の奇跡のインディアナ州制覇の超小規模高校
ルイビル(ケンタッキー州)
- NCAA D1(強豪): ルイビル大学
- NCAA D1(中堅): ベラミン大学
レキシントン(ケンタッキー州)
- NCAA D1: ケンタッキー大学
- NCAA D1(中堅): イースタンケンタッキー大学
- NCAA D1(中堅): モアヘッドステイト大学
エバンスビル(インディアナ州)
- NCAA D1(中堅): エバンビル大学
- NCAA D1(中堅): サザンインディアナ大学
カンフルエンスエリア(IL-MO-KY-TN州)
- NCAA D1(中堅): サザンイリノイ大学
- NCAA D1(中堅): サウスイーストミズーリ大学
- NCAA D1(中堅): マリーステイト大学
- NCAA D1(中堅): テネシー大学マーティン校
ノックスビル(テネシー州)
- NCAA D1(強豪): テネシー大学
- その他: 女子バスケの殿堂
テネシーリバー(テネシー州/アラバマ州)
- NCAA D1(中堅): テネシー大学チャタヌーガ校
- NCAA D1(中堅): アラバマA&M大学
- NCAA D1(中堅): ノースアラバマ大学
ナッシュビル(テネシー州)
- NCAA D1(強豪): バンダ―ビルト大学
- NCAA D1(中堅): ベルモント大学
- NCAA D1(中堅): リプスコン大学
- NCAA D1(中堅): オースティンピーステイト大学
- NCAA D1(中堅): テネシーステイト大学
- NCAA D1(中堅): ミドルテネシーステイト大学
- NCAA D1(中堅): テネシー工科大学
- NCAA D1(中堅): ウェスタンケンタッキー大学
メンフィス(テネシー州)
- NBA: メンフィス・グリズリーズ
- Gリーグ: メンフィス・ハッスル
- NCAA D1(強豪): メンフィス大学
- NCAA D1(中堅): アーカンソーステイト大学
リトルロック(アーカンソー州)
- NCAA D1(中堅): アーカンソー大学リトルロック校
- NCAA D1(中堅): セントラルアーカンソー大学
- NCAA D1(中堅): アーカンソー大学パインブラフ校
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NCAA基礎講座
大学一覧

バスケ留学解説

NCAAの視聴方法






参考
Shaedon Sharpe, 18, can apply for 2022 NBA draft after joining Kentucky Wildcats in January(espn.com)
Kentucky Wildcats School History(sports-reference.com)
NBA pioneer Bob Williams’s legacy as Minneapolis Lakers’ first Black player(archive.ph)
Kentucky Schedule(1952-53)(bigbluehistory.net)
Former UK Great Lou Tsioropoulos Dies At The Age Of 84(web.archive.com)
Joe B. Hall, who led Kentucky to national title, 3 Final Fours, dies at 93(nytimes.com)
A Season Without Celebration: Hall(news.google.com)
Where are they now: Feldhaus unforgotten in Kentucky lore(coachcal.com)
Like Rome, Kentucky basketball is a storied, flawed empire: Bill Livingston(cleveland.com)
Former Grissom Basketball Standout Marvin Stone Dies at 27(waff.com)
The problematic prospect(sports.yahoo.com)
30 for 30: One and Not Done(espnplayer.com)
Some Kentucky faculty want name change for arena named after former basketball coach Adolph Rupp(espn.com)