うい。
Bro Institute of Ball&Tripは大人の野郎(通称bro)がバスケをより楽しむための知識とノウハウを提供しているサイトだ。
現在、broは完全に蚊帳の外にいる。と言うのも、broは無駄遣いをしないからである。ビジネスは金を使わない奴を対象には行われない。
しかし、言い換えれば、コンテンツはホイホイ金を出す奴らを対象に作られているということだ。実際、現在のバスケメディアも”そういった奴ら”をターゲットにしている。例えば、多くのメディアが「釣りタイトル」でPV数を稼ごうとしている訳だが、挑発的な見出しや俗物的なコンテンツで購買数を増やすのはまさにスポーツ新聞や週刊誌の手法であり、何故「スポーツ新聞や週刊誌がくだらないコンテンツを提供しているのか?」と言えば、それは彼らのターゲットも”そういった奴ら”だからである。
そして、その結果がbroが物足りなさを感じる今の状況だ。
一方、確かにこちらから合わせに行くのも1つの手ではあるだろうが、正直、大人の野郎がワーキャースタイルを続けるのは結構痛々しい。また、一部の人間は経済力で得たコレクションを見せびらかすことに走っているが、これは空港の写真をFacebookに上げるのと同様にオッサン的でダサい。(※コレクション自体は否定していない。)
と言うことで、大人の野郎に残された道はあらゆる知識を吸収して多面的且つ高い彩度でバスケを見る”bro way”しかない。
しかし、先述した通り、broを相手にしているコンテンツはない。故に、俺達が同志のために一肌脱いで始めたのがBro Institute of Ball&Tripだ。俺達はbroがバスケを楽しむための知識(情報の信頼性を担保する参考文献付き)とノウハウの提供を行っている。
と言うことで、今回は超古豪テンプル大学についてだ。
テンプル大学
基本情報
名称: Temple University
愛称: Owls
所属: アメリカン・アスレティック・カンファレンス
19-20: 14勝17敗
18-19: 23勝8敗NCAAトーナメント1回戦
17-18: 17勝16敗NIT出場
16-17: 16勝16敗
最近の話: レジェンドがHCに昇格
2019年、テンプル大学レジェンドのアーロン・マッキーがHCに就任した。マッキーは1990年代前半にオウルズを3年連続のNCAAトーナメント出場に導き、その後はNBAで長らく活躍した。
アメリカン・アスレティック・カンファレンス
チーム史
チャールズ・ウィリアムス時代(1894-99):最初に運動部の後援を始めた内の1校
テンプル大学は運動部を正式に後援した最初の大学の1校だ。1894年、テンプル大学はチャールズ・ウィリアムス(Charles Williams)をフットボール部とバスケットボール部のコーチに任命した。
1950年代頃までバスケ部、フットボール部、野球部のコーチは同じ人物が兼任していることが多かった。
ジェームス・ユシルトン時代(1926-39): 初代全米No.1
- NIT優勝(1938)
1926年、ジェームス・ユシルトン(James Usilton)がHCに就任した。当時、他大学がバスケ部を創部したばかりだった中、ユシルトンは毎シーズン20試合程度の試合を組み、常に15勝程度を挙げていた。実はテンプル大学は歴代勝利数でトップ10位内に入っているのだが、それはこの時に先行者利益的に白星を稼いでいたためである。
1938年、ナショナル・インビテーション・トーナメント(NIT)がNCAAトーナメントに先駆けて開催された。当時、NITはその年に調子の良いチーム数校をマディソン・スクエア・ガーデンに集めてNo.1を決める全米初の大々的なチャンピオンシップトーナメントだったのだが、その第一回大会に招待されたテンプル大学は決勝戦でコロラド大学を破って初優勝を果たした。
ハリー・リトワック時代(1952-73): レジェンド卒業生が2度のファイナル4へと導く
- ファイナル4×2(1956、58)
1952年、卒業生のハリー・リトワック(harry Litwack)がHCに就任した。リトワックはプロバスケットボール超黎明期の1930年にプロの道へと進んだプロバスケットボール界のパイオニア的存在だ。
一方、1950年代、オウルズはもはや圧倒的な存在ではなくなっていた。理由は簡単だ。各大学がバスケットボールに力を入れ始めたからである。1940年代、NCAAトーナメントとNITの隆盛でバスケットボールは東海岸を中心に盛り上がりを見せていたが、その後、テレビ放送の開始によってその人気が全米中に拡散されたのだ。
しかし、元プロ選手のリトワックは体育教師上がりのコーチ達とはバスケットボールの理解度で一線を画していた。リトワックはゾーンディフェンスを巧みに操り、さらにはボックス&ワン戦法を自ら編み出して、1956年と1958年にオウルズをファイナル4へと導いた。
代表的な教え子はハル・リアー(1952-56)とガイ・ロジャース(1954-58)だ。リアーは1956年のファイナル4に導き同大会の最優秀選手賞(Most Outstanding Player)を獲得した。ロジャースも1958年のファイナル4進出を牽引し、その後コンセンサス・オール-アメリカンの1stチームに選出された。現在、それぞれの着用していた#6と#5はテンプル大学の永久欠番となっている。
その後、リトワックは1973年までオウルズを率いた。そして、1976年、リトワックはネイスミスバスケットボール殿堂入りを果たした。
ジョン・チェイニー時代(1982-2006): 熱血漢が5度のエリート8に導く
- エリート8×5(1988、91、93、99、01)
古豪復活(1982-88)
1982年、9シーズンで僅か1回しかNCAAトーナメントに出場できなかったドン・ケイシー(Don Casey)に代わってジョン・チェイニー(John Chaney)がHCに就任した。チェイニーは1978年にチェイニーステイト大学(現チェイニー大学)をNCAA D2のNCAAトーナメント優勝に導いた熱血漢だった。
人生の厳しさを痛い程知っていたチェイニーは規律、チームワーク、遂行力といった人生でも役に立つことを指導の軸としていた。故に、チェイニーが目指したスタイルはこれらが如実にあられるディフェンスに重きを置くスタイルで、後にテンプル大学の代名詞ともなるマッチアップゾーンはまさにチェイニーの教育観を具現化したものだった。
熱血指導の成果は僅か2季目にして既に表れた。1983-84、オウルズはA10を18勝0敗で制覇して久しぶりのNCAAトーナメント出場を果たし、1986-87には最終AP8位と第2シード獲得、そして、翌1987-88にはレギュラーシーズンを26勝1敗で終え、遂にはNCAAトーナメントでも勝ち上がり、エリート8進出を果たした。
ジョーンズ&マッキー(1991-94)
テンプル大学のレジェンドはエディー・ジョーンズとアーロン・マッキ―だ。両者は1991~1994年の3年間を共にオウルズとしてプレーし、その後、NBAでも10年以上活躍したプレーヤーである。
ジョーンズとマッキーが在籍していた間、チームは3年連続でNCAAトーナメントに出場(内1回はエリート8)した。その後、両者共に1994年のNBAドラフトでジョーンズは10位でレイカーズに、マキ―は17位でポートランド・トレイルブレイザーズに指名された。
ジョーンズはNBAでは14年間のキャリアで3度のオールスターに輝き、2000年にはオールNBAサードチームにも選ばれた程である。一方のアーロン・マキーは13年間もNBAに留まり続けたソリッドプレーヤーだ。マキ―は2001年には6thマン賞も受賞した。彼はアレン・アイバーソンが最も影響を受けたチームメイトとしても知られている。
加えて、これまた余談だが、ビラノバ大学の2連覇に貢献したジェイレン・ブランソン(ダラス・マーベリックス)の父のリック・ブランソンも彼らのチームメイトだった。
衰退(2001-06)
しかし、21世紀に突入以降、オウルズは勝率5割を超えるのがやっとだった。2006年、チェイニーは引退を発表した。
現地観戦
ホームアリーナ
名称: Liacouras Center
住所: 1776 N Broad St, Philadelphia, PA 19121
フィラデルフィアからテンプル大学へは地下鉄でアクセスできる。最寄り駅は地下鉄BSL線のCecil B. Moore駅だ。
チケット
同大はパワーカンファレンスに所属しているため、試合によってはチケットが売り切れる可能性もある。だから、チケットの購入は会場では無く、 Ticketmaster、StubHub、VIVIDSETAS、公式サイト等で事前に購入するのがオススメだ。
まとめ
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ボスウォッシュエリア

ボスウォッシュエリア(北東部)
ボスウォッシュエリアは「ボストン~ワシントンD.C.」間の東海岸のメガロポリスのエリアだ。北にニューイングランドエリア、南にアトランティックエリア、西に五大湖エリアがある。
ボストン(マサチューセッツ州)
ボストンはアメリカ最古の都市だ。名門ボストン・セルティックスがある。同時にボストンは東海岸随一の学生街だ。ACC所属のボストン・カレッジ、実はバスケも強いハーバード大学、小川春太選手が通うマサチューセッツ工科大学(NCAA D3)等がキャンパスを構えている。
プロビデンス(ロードアイランド州)
プロビデンスはボストンの隣町だ。強豪プロビデンス大学と実力校ロードアイランド大学に加え、アイビー・リーグのブラウン大学、台湾人プレーヤーのBenson Linがプレーしているブライアント大学の計4校のNCAA D1大学がキャンパスを構えている。
バスケットボール殿堂(マサチューセッツ州)
マサチューセッツ州スプリングフィールドはバスケットボールが誕生した町だ。バスケットボール殿堂とスプリングフィールドカレッジがある。
コネチカット大学(コネチカット州)
名門コネチカット大学はボストンとニューヨークの間にある。
ニューヨーク(ニューヨーク州)
ニューヨークはバスケットボールのメッカだ。NBAはニックスとネッツ、NCAAはSt.ジョーンズ大学、シートン・ホール大学、その他ミッドメジャー11校がある。さらには大学や高校のイベントが年中開催されている。ラッカーパークやダイクマン等のストリートボールの聖地も多い。
トレントン(ニュージャージー州)
トレントンは世界で初めてプロバスケットボールの試合が行われた町だ。1896年、興行団体のトレントンズはメイソニック・テンプル・ホールで試合を開催して試合後に売り上げを選手に還元した。
フィラデルフィア(ペンシルベニア州)
フィラデルフィアはチェンバレンとコービーを育てたタフな街だ。シクサーズと2016年と2018年にNCAAトーナメントを制覇したビラノバ大学がある。NYCとワシントンD.C.の間にあるためアクセスが良い。
ボルチモア(メリーランド州)
メリーランド州ボルチモアは首都ワシントンD.C.の隣にある学生街だ。2018年にNCAAトーナメント史上最大のアップセットをかましたUMBC等計5校のミッドメジャー校がキャンパスを構えている。コロナ関連のニュースでお馴染みのジョンズ・ホップキンス大学(NCAA D3)も実はボルチモアにある。
ワシントンD.C.
首都ワシントンD.C.は実はバスケが盛んなエリアだ。八村塁選手が所属するワシントン・ウィザーズはもちろん、ユーイングがHCを務めるジョージタウン大学、強豪メリーランド大学、渡邉雄太選手の母校ジョージ・ワシントン大学があり、夏には複数のPro-Amリーグが開催されている。
参考
Aaron McKie to become Temple head coach in 2019(phillytrib.com)
Temple Owls School History(sports-reference.com)
John Chaney(hoophall.com)
Temple 2019 Basketball Commits(247sports.com)
2020 Pomeroy College Basketball Ratings(kenpom.com)
Harry Litwack(phillyjweishsports.org)
Harry Litwack(hoophall.com)
Athletic History(owlsports.com)